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by sasakitosio

放送法と政治  公権力の介入を許すな


11月10日付東京新聞社説に、「公権力の介入を許すな」の見出しで、放送法と政治のことが載った。
 今日は、この社説に学ぶことにした。
 まず社説は、「NHKの報道番組をめぐる問題で、放送倫理・番組向上機構(BPO)が総務省と自民党の介入を批判した。「圧力そのもの」と述べたのだ。公権力の干渉をゆるしては「表現の自由」が損なわれる。
 問題となったのは、NHKの報道番組「クローズアップ現代」が出家詐欺を取り上げた中で、やらせがあったとされる点だ。これについては、BPOの放送倫理検証委員会が「重大な放送倫理違反があった」「検証が不十分である」などと意見書で述べた。
 NHKが真摯に受け止め、再発防止に努めねばならないのは当然として、注目すべきは、この意見書が公権力の介入について、鋭い指摘をしていることだ。
 総務相がこの問題で文書による「厳重注意」をしている。大臣名では2007年以来の出来事だった。また、自民党の情報通信戦略調査会がNHKの幹部を呼び、説明させるという出来事もあった。
 このとき、テレビ朝日の幹部も呼び付けられた。ニュース番組に出演した元官僚のコメントが問題視されたのだ。」と切り出した。
 つづけて社説は、「意見書は「行政指導で政府が介入することは、放送法が保障する自律を侵害する」「政権党による圧力そのものだから、厳しく非難されるべきである」と記した。
 放送法の第一条二項では「放送の不偏不党、真実及自律を保障することによって、放送による表現の自由を保障する」と定められている。この原則を守るよう求められるのは、公権力の側であるはずだ。BPOも同じ見解だ。
 権力は放送を自在に操りたがる欲望を潜在的に持っているため、法で放送の「自立」を保障しているのだ。
 「不偏不党」の言葉も放送局の義務ではなくて、公権力に向けられている。権力干渉を防ぐためだ。歴史を見れば、強権が「真実」さえ、ねじ曲げることがあるのは自明の理であろう。
 放送の自由は、そのような保障の上に成り立っている。その一方で電波法により、放送免許や監督の権限を政府に握られている。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「それゆえ放送局は政治の圧力を受けやすい体質があるわけだ。公権力がやらせ疑惑などに乗じて、その権限をちらつかせれば、「表現の自由」に対する威嚇と同義である。BPOの判断に賛同する。
 ジャーナリズムの本質は、権力監視だ。強権政治におもねる風潮がある中で、放送人もまた萎縮や自粛があってはならないし、権力への毅然たる姿勢が求められる。」として締めくくった。
 読んで、勉強になったし、ほっとした。
 BPOの意見書は「行政指導で政府が介入することは、放送法が保障する自律を侵害する」「政権党による圧力そのものだから、厳しく非難されるべきである」と記した、とのこと。これで、政府に反省を促し、国民に放送の自由の危うさと大切さを自覚させる契機になれば、と思った。
 NHKのニュースは、会長発言以来、眉にツバをして聞くことにしている。が、その上に、さらに権力の圧力、しかも、それを指摘されても、なんの反省もなく居直る首相や官房長官。公の意識の薄い人々が、首相や官房長官になっている現在は、日本国民にとって不幸な時期なのかもしれない。
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by sasakitosio | 2015-11-11 06:27 | 東京新聞を読んで | Trackback