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by sasakitosio

一番大事なのは人を残すこと、次は仕事を残すこと、一番下が財を残すこと

 11月8日付東京新聞朝刊24面に、「あの人に迫る」という欄がある。あの人は「免疫学者・岸本忠三氏」だ。インタビューをしたのは、森耕一氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 先ず記事は、「免疫の異常によって関節が痛み、変形してしまう間接リュウマチ。免疫学者の岸本忠三さん(76)は、症状を大きく改善させる薬を開発し、世界中の患者を救った。ノーベル賞候補ともされる自身の発見にとどまらず、免疫学をリードする多くの研究者を育てた。無名だったころのノーベル医学生理学賞受賞者、山中伸弥氏を見いだして支援もした「目利き」でもある。厳しい研究競争にあっても、常に問いつづけてきたのは「どうすれば病気を治せるか」だった。(森耕一)」とはじまった。
 つづけて記事は、「<開発された新薬「アクテムラ」が急速に普及しています。>
 百か国以上で使われ、売り上げが2千億円に近づいてきています。
 アクテムラは間接リウマチの患者は誰でも知っています。だいたいリウマチは治って、後遺症を残さない病気になりました。
 <免疫学を学んだ理由は。>
 大阪大学医学部で免疫学者の山村雄一先生の講義を受けて非常におもしろかったんです。結核で肺に空洞ができるのは免疫の過剰反応が原因だと発見した人です。先生は外界から体を守る免疫がなぜ自分の体を攻撃するのか、理論整然と話された。医学部は丸暗記の勉強が多い中で免疫学は違うと感じ、先生がおられた内科学教室に進みました。
 親は選べませんが、先生と伴侶は選べて、人生に大きな影響を及ぼします。
 あれから50年、免疫は細菌やウイルスから体を守るだけではなく、今やがんに対しても中心的な存在で、免疫がしっかりしていればがんはできないことができないことが分かってきました。免疫のブレーキを外して活発にする薬でがんを消す研究も進んでいます。あらゆる病気の治療で、免疫は中心にいると感じます。
 <1986年にインターロイキン6(IL-6)という免疫物質を見つけ、この物質の過剰を抑えることが間接リウマチの治療に役立つことを突き止めました。>
 当時研究に使っていた細胞がIL-6にしか反応しなかったのでので見つけられました。幸運でしたが、特別重要な物質だとは思いませんでした。ところが後にIL-6が全身のさまざまな病気に関わると分かりました。
 リウマチや血液がん、血管炎などの患者ではIL-6が異常に増えている。
 どうしたら治せるのかと考え、IL-6を抑える薬アクテムの開発につながりました。IL-6が重要だと分かってくると、われわれは研究に没頭し、次々に新発見をしました。
 米国の研究者が「IL-6を研究してもだめ。全部キシモトズアーミー(岸本軍団)がやってしまう」とぼやいていました。
 <弟子たちの指導は厳しかったとか。>
 研究棟の玄関に入ると三階の研究室から私の怒鳴り声がいつも響いていると言われました。「あほか、何しとるんか」と。数時間ごとに実験台を回って「どないなった」とせっつくと、研究者たちから「(実験は)数時間では進みませんで」とあきれられた。
 ネズミの遺伝子をうまく消せなかった研究者に「ネズミの遺伝子が消えるのが先かお前が消えるのが先か」と怒鳴ったこともありました。
 <患者にも接してこられました。>
 内科に入って、最初の3年は臨床医でした。今でも病気に一番興味があります。患者に接して病気そのものを知っていると、研究で何か新しい現象が見つかったとき、どういう病気と関係があるか、こうすれば治るんじゃないかという発想になります。逆に、突出した基礎研究をしても、病気との関連を考えないために創薬につながらない研究者は多いですね。
 <50歳を過ぎて内科の教授に戻ります。>
 最初の講義では間接リウマチについて話しました。
 「十年先には免疫の謎を解き明かした学問の成果の新しい治療法を開発する」と宣言し、実際10年後アクテムラができました。
 臨床から基礎、基礎から臨床と、動いている間にずっとIL-6を研究し続けました。ILを見つけて、病気との関係を調べて、内科の研究に帰って治療する。研究の流れと自分が一緒に動いているから薬にまでつながったんです。
 <研究に大切な心構えは何でしょう。>
 まだ治らない病気、なぜ起こるかもわからない病気はいっぱいあります。よく観察して、「なぜ」と思う気持ちが大事なんです。
 教授として回診していたとき、サルコイドーシスという免疫反応が落ちる病気の患者さんの前で、「なぜこうなるんやろう」と私が受け持ちの研修医に聞くと、「先生何いうてるんです。サルコイドーシスですから」と答えました。そうじゃない、その症状になる原因は今でも分かっていない。「なぜ」を考えるところから研究は始まるんです。
 <研究費の配分を担っていた2003年、人工多能性幹細胞(ips細胞)をつくる前無名だった山中伸弥さんに年5千万円の研究費を5年配分することを決めました。山中さんは「研究費の心配をしなくてよくなった。」と感謝し、大発見につながる重要な資金になりました。>
 あの時点で、ノーベル賞を取るような成果になるとは思ってません。でも、研究内容に夢がありましたし、山中さんは科学的にきっちりした手法で研究していましたから、どうなるにしろ何か成果が出るだろうと思いました。それがうまくいったわけです。
 昨今は時々の流行に乗った一部の研究に集中的に研究費が配分されますが、研究費が多くあればいい研究ができるとも限りません。
 何億円もらおうと「ネズミの遺伝子を片っ端からつぶしていけ」などと、深い考えなしにやれることはすべてやります。
 私はいつも「金はたくさんいらん。金を使わず頭を使え」と言います。研究は手を広げすぎてはだめで、本質的に大事なことを見極めないといけない。少ない金額でも広く配分すれば、山中さんのように思いがけない芽が出てくるんです。
 <多くの弟子を育て、薬の勅許料からは多額の寄付も続けておられます。>
 一生懸命やっていたから、背中を見て人が育ったと思います。恩師の山村先生が言っていましたが、
 世界を目標にしている人のもとからは、世界を目標にする人が出る。
 日本の中でいいという人のもとからは日本の中でいいという人が、大学の中でしか通用せん人からはそういう人がでてくる。
 どのレベルを大将が考えているかで、その研究室がどのレベルか決まるんです。
 特許は何十もありますが、当時は特許権は大学ではなく発明者に属していました。阪大への寄付、若手研究者への研究費助成、医学生や外国からの留学生への奨学金などを提供しています。
 開発した薬は、リュウマチ以外にもいくつもの病気の治療に有効だと分かってきました。私もこうした病気の「なぜ」を解き明かす研究を続けています。
 最先端で研究していたころは競争で必死でしたが、今は後の世代に何が残せるかを考えています。
 一番大事なのは人を残すこと、
 次は仕事を残すこと、 
 一番下が財を残すこと。
 私の弟子、その弟子がたくさんいい仕事をしています。
 薬も残して多くの人を助けました。
 人生の最後には、まあまあいい人生だったと言えると思いますけどね。」として締めくくった。
 読んで、人間こうありたいと思った。
 中で、いくつか名言があった。
 「親は選べませんが、先生と伴侶は選べて、人生に大きな影響を及ぼします」。
 「あらゆる病気の治療で、免疫は中心にいると感じます。」。
 「世界を目標にしている人のもとからは、世界を目標にする人が出る。日本の中でいいという人のもとからは日本の中でいいという人が、大学の中でしか通用せん人からはそういう人が出てくる。どのレベルを大将が考えているかで、その研究医室がどのレベルか決まるんです。」。
 「一番大事なのは人を残すこと、次は仕事を残すこと、一番下が財を残すこと。」。
 すべて、納得できた。
 現代の有名人で「お笑いや落語のネタ」になる人は多いが、現存する人で「講釈ネタ」になるような「人生の鏡」のような人がほとんどいなくなったが、岸本忠三氏はまさに講釈ネタの人物だ、と思った。
  
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by sasakitosio | 2015-11-10 06:38 | 東京新聞を読んで | Trackback