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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

多数決がのし歩いては

11月1日付東京新聞社説に、「多数決がのし歩いては」の見出しで、民主主義や基本的人権のことが載った。
 今日はこの社説を学習することにした。
 まず社説は、「安全保障関連法の強行採決に見られるように、国会でますます「数の論理」が幅を利かせています。でも、多数決は本当に万能なのでしょうか。
 掃除当番は面倒なものです。誰も進んでやりたくない仕事です。でも、毎日、誰かが引き受けなければなりません。そこで、こんな提案がありました。
 「誰か一人にやってもらおう」
 そうして、「誰か」にA君が指名されてしました。
 来る日も来る日もA君が一人で掃除当番を引き受けるという案です。
 みんなで多数決をした結果、
 「A君が毎日、一人で掃除当番をする」という案が過半数になってしまいました。
さて、こんな投票は許されることなのでしょうか。
 こんな多数決は有効なのでしょうか。
  実は掃除当番のエピソードは、弁護士の伊藤真さんが書いた憲法の絵本「あなたこそ たからもの」に出てきます。絵本には、こんな説明があります。
 <たとえ、たくさんのひとがさんせいしても、ただしくないこともあるんだ。わたしたちは、ぜったいまちがえない、とはいえない。わたしたちがえらんだだいひょうも、いつも、ただしいことをするとはかぎらない>
 確かに面倒だからと言って、A君に掃除当番を押しつけたことは正しくありません。
 提案自体も多数決の結果も間違っているわけです。
 ではなぜ間違いだといえるのでしょうか。
 ずばりA君の人権が侵されているからでしょう。毎日、苦痛な掃除当番を一人に背負わせるのは、基本的人権の観点から許されません。A君という「個人の尊厳」からも問題でしょう。絵本の文章はこう続きます。
 <だから,ほんとうにたいせつなことをけんぽうに、かいておくことにしたんだ>」と教えてくれる。
 つづけて社説は、「日本国憲法の三大柱は、基本的人権と国民主権、そして平和主義です。憲法前文にはとりわけ基本的人権が優先する形で書かれています。しばしば国民の間で行われた多数決の結果を「民意」とよんだりしますが、たとえ民意が過半数であっても、基本的人権をうばうことが出来ません。
 「A君に毎日、掃除当番をさせる」という多数決の結論は、「多数の横暴」そのものです。立憲主義憲法では、それを許しません。
 立憲主義は暴走しかねない権力に対する鎖であると同時、民意さえ絶対視しない考え方です。
 いかなる絶対主義も排するわけです。
 民意もまた正しくないことがあるからです。ナチスドイツのときは典型例でしょう。
 初めはわずか7人だったナチス党は国民の人気を得て、民主的な手続きによって、1933年にはドイツ国会の第一党になりました。
 内閣を組閣したヒトラーは議会の多数決を利用しました。そして、政府に行政権ばかりでなく立法権も与える法律を作りました。
 「全権委任法」です。
 議会は無用の存在となり、完全な独裁主義の国となりました。戦後間もないころ、旧文部省がつくった高校生向けの「民主主義」という教科書では、このテーマを「民主政治の落とし穴」というタイトルで描いています。
 <多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。>
 <多数の力さえ獲得すればどんなこともできるということになると、多数の勢いに乗じて一つの政治方針だけを絶対に正しいものにまでまつりあげ、いっさいの反対や批判を封じ去って、一挙に独裁体制を作り上げてしまうことができる>
 旧文部省の教科書は何とうまく「多数の横暴」の危うさを指摘していることでしょう。
多数決を制したからといって、正しいとはかぎりません。
 それどころか、多数決を乱発して、独裁政治に至る危険性もあるわけです。
 確かに多数決は民主的手続きの一つの方法には違いありません。しかし、少数派の意見にも十分耳を傾けることや、多数決による結論に対する検証作業も同時に欠かせない手続といえます。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「国会の召集を野党が憲法53条の規定に基づいて求めましたが、政府は「首相の外交日程」などを理由に拒みました。議員の4分の1の要求があれば、招集を決めなければならないという規定です。
「4分の1」という数字は、むろん少数派の意向を尊重する意味を含んでいます。多数決論理が横行して、「4分の1」という少数派の「数の論理」を無視しては、民主主義がうまく機能するはずがありません。」として締めくくった。 
 読んで、多数決の問題と、憲法で基本的人権が保障されている意味の大切さがよく分かった。
 伊藤真さんが書いた憲法の絵本「あなたこそ たからもの」、
 旧文部省が作った高校生向けの「民主主義」という教科書、等の存在をはじめて知った。
 社説での、「しばしば国民の間で行われた多数決の結果を「民意」とよんだりしますが、民意が過半数であっても、基本的人権は奪うことができません」との指摘、 
 「立憲主義は暴走しかねない権力に対する鎖であると同時に、民意させ絶対視しない考え方です。いかなる絶対主義も排するわけです。」との指摘、
 「多数決を制したからといって、正しいとは限りません。それどころか、多数決を乱発して、独裁政治に至る危険性もあるわけです。」との指摘、等等はしっかり覚えておくことにした。
 さらに社説の「多数決による結論に対する検証作業も同時に欠かせない手続」との指摘は、現在最も欠けていることだと思った。
 予算執行の監査、行政執行の監査を国会で徹底的にすべきであるがそれが出来ていない。これこそ「議員内閣制の落とし穴」、なのかもしれない。
 
by sasakitosio | 2015-11-04 06:56 | 東京新聞を読んで | Trackback