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by sasakitosio

ゲバラたちが見た夢

 9月28日付東京新聞社説に、「ゲバラたちが見た夢」という見だしで、国連総会での各国首脳の演説についての事が載った。
今日は、この社説を学習することにした。
 まず社説は、「週明けの国連総会で、各国首脳の演説が始まります。半世紀前に残る先人の名演説を再生しながら、為政者が語るべき「理想」に思いを巡らせます。
 諸国家間の友好関係を発展させ世界平和を強化するーー。国連憲章にうたう「目的」の柱であり、国連主義のいわば基本精神です。
 国連発足70年の今年、その精神を地で行く大ニュースでした。
 7月20日、互いの大使館を54年ぶりに再会した米国とキューバの国交回復です。その源流を半世紀前にたどります。」と切り出した。
つづけて社説は、「両国の政治家が残した伝説の演説から。
 まずは1961年1月の対キューバ国交断絶と相前後して、米大統領に就任したジョン・F・ケネディが、その9月の国連総会で行った演説です。
 「戦争に代わる唯一の方法は、国連を発展させることだ。それは大国だけの関心ごとではない。なぜなら、核兵器の惨禍は風と水と恐怖によって拡散され、大国も小国も、富国も貧困も、同盟国も非同盟国も全てをのみ込んでしまうからだ。人類は戦争に終止符を打たねばならない。さもなければ戦争が人類に終止符を打つだろう」
 当時も米国にしては異質なまでに純粋な、国連による非核平和の理想でした。しかし、核廃絶を希求したケネディは皮肉にも62年10月、米ソ核戦争の寸前までいくキューバ危機に直面。
 以後もなおキューバとの関係改善を気にかけつつ63年、志半ばで暗殺の銃弾に倒れていきます。
 もう一人は、59年キューバ革命をフィデル・カストロ前国家評議会議長らと共に率いた政治家チェ・ゲバラ。64年12月の国連総会です。
 「私たちが確かな世界を望むなら、強国だけの意向だけに左右されず、各国相互の歴史的な関係にもよらず、全ての国によって実現されなければならない。」
 ゲバラもまた国連主義の高い理想を掲げた演説で、険しい対立相手の米国に代表される大国が、小国を支配する国際政治を公然と批判します。第三世界の国々に、小国も等しく持っている自立の権利に目覚め、大国に立ち向かえと喚起して、大喝采を浴びたのです。
 しかしその後、ゲバラは、新たにもとめた革命の地ボリビアで67年、やはり銃弾に倒れます。」と教えてくれる。
 さらに社説は、「時は流れて40余年後。埋もれた二人の夢を掘り起こす、もう一人の理想主義者が現われたのは、両国にとって幸運でした。
 2009年にプラハ演説で「核なき世界」の理想をうたい上げたオバマ大統領です。自身が最も尊敬するケネディの国連演説を再現したような高揚感でした。
 その「核なき世界」でオバマ氏が09年のノーベル平和賞に輝いた時、キューバのカストロ前議長が寄せた談話が微妙です。
 「この決定は前向きな一歩だと認めよう。ただ、これが意味するのは、一人の米大統領の受賞ということだけではない。
 歴代の大統領たちが追及してきた大量殺戮の政治に対する批判を見ることができるのだ」
 米大統領にして稀有な理想主義者オバマ氏を信認の上で、米国への痛烈な皮肉です。その裏には、大国支配からの解放によって世界平和を説いたゲバラの国連演説が浮かびます。
 カストロ氏はオバマ氏の出現によって、かってのゲバラの影を見たのかもしれません。
 オバマ大統領にとっても「核なき世界」の理想が遠のく中、政権終盤のレガシー(遺産)政策に、敬愛するケネディ絡みの対キューバ関係を選んだのは、一つの必然だったでしょう。。
 こうして、ケネディとゲバラが見た平和の夢は半世紀後、両国の国交回復という形でよみがえりました。逆に、二人の理想の掲示がなければ国交回復はなかったかもしれない。そこに演説の意義もあります。
 二人が今に教えるのは、政治家が歴史に高い理想を掲げなければ何も始まらず、それが死後も何年かかろうと、いつかは実現すると信じることの尊さでしょう。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「今年も国連総会で始まる各国首脳の演説に注目します。冷戦後の政界に混沌が満ちている今だからこそ、私たちは聞きたい。目先の駆け引きを超越した純粋な理想の演説を聞きたいのです。
 理想主義者ゲバラの純粋さをひときわ輝かせた名言があります。
 キューバ危機のさなか前衛の青年たちを鼓舞した訓話の一節です。
 「もしも私たちが夢想家のようだと言われるならば、
 救いがたい理想主義者だといわれるならば、
 できもしないことを考えていると言われるならば、
 何千回でも答えよう。
 それはできるのだ、と」」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 かねがね、日本の総理大臣の外遊で報道されるのは、言った先々で「お金をばらまいたことと、その金額だ」と、情けない思いをして来た。 
 だから、国連の大舞台はもちろん、外遊の小舞台・共同記者会見で、お金をプレゼントするのではなく、世界をうならせる「言葉」を発せられないものか、と常々思ってきた。
 なぜかと、想像するに、今の選挙制度では、理想を高く掲げた「候補者」よりの、身の回りの世話をマメにする「候補者」が当選するからではないか。ならば、総理演説の原稿を書く「お役人」にそれを期待したいところだが、過去の結果から見るところ、ないものねだりなのではないか。
 ただ、若い頃にケネディの演説に感動した一人だが、キューバ危機の時「核戦争を辞さず」としたケネディには恐怖と失望をした事、思い出す。
 また、オバマ大統領の「プラハ演説」に感動と希望を感じた。しかし、その演説は、「ノーベル賞」の受賞につながったことはたしかだが、実現できないままであることに、失望している。
 そして、ゲバラの「・・何千回でも答えよう。それはできるのだ、と」も確かに名言ではある。そして、できた社会主義・共産主義の現実は、ソ連の崩壊、中国・北朝鮮の人権抑圧をいまに残しているのではないか。
 ために、社説の「冷戦後の混沌が満ちている今だからこそ、私たちは聴きたい。目先の駆け引きを超越した純粋な理想の演説を聴きたいのです。」の願いは、本当にその通りだと思った。
 
 
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by sasakitosio | 2015-09-30 18:00 | 東京新聞を読んで | Trackback