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by sasakitosio

70年後の「戦争画」

 9月11日付朝日新聞朝刊社説下に、「社説 余滴」という欄がある。筆者は、文化社説担当・山口宏子氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
先ず筆者は、「その絵とは5年前、ふらりと入った美術館で出会った。 地面に膝つく若い兵士。水たまりに顔が映る。見開いた両眼は強く光るが、焦点が定まらない。思考や感情が消えたような、異様な目。そこに戦場が凝縮しているように見えた。
 昭和を代表する洋画家、宮本三郎の「飢渇」(1943年)。
 「戦争画」の一枚だ。
 まず感じたのは、厭戦。戦争への憤りもわいた。だが、軍の意を受けて制作・公開された戦争画の目的は戦意高揚のはず。意味が逆だ。それでもこの絵は心に食い込み、芸術と時代、表現とそれを受け止める社会との関係を鋭く問いかけてきたと切り出した。
 つづけて筆者は、「この夏東京国立近代美術館は特集展示の中で戦争画12点を公開した(13日まで)。
 代表作は藤田嗣治の「アッツ島玉砕」(43年)。縦1.9メートル、横2.6メートルの大作だ。
 死体が折り重なり、命あるものは鬼気迫る形相で刀や銃剣を構える。白兵戦は勇壮にも、悲惨にも見えた。発表時、人々は絵の前で合掌し、おさい銭をあげたという。
 藤田の戦争画についてはいくつもの文章を読んだ。それでも、筆遣いまで感じられる実物の絵を間近にすると、様々な思いが浮かぶ。画布と向き合った藤田は何を考えていたのか。自分が戦時下でこの絵を見たら,高揚したり、祈ったりしただろうか。
 同館の美術課長、蔵屋美香さんに聞くと、数ある戦争画の中でも、入場者の関心は藤田作品に集まるという。
 絵の力に加え、戦前のパリで成功し、戦中は率先して戦争画を描き、戦後それを批判された劇的な生涯も、人々を引き付ける。同館では19日から12月まで、所蔵する藤田の全25点を展示する。うち14点は戦争画だ。11月公開の小栗康平監督のえいが「FOUJITA」も、優美な裸婦と戦場、両極を描いた藤田に迫っている。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「敗戦から70年を経て、戦争画は多角的に語られるようになった。6月に出版された「戦争画とニッポン」(椹木野依・会田誠著)や「美術手帳」9月号の「絵描きと戦争」特集には、若い読者の反響が大きいという。背景には、個人と国家の関係や戦争を意識させる,いまの日本の現実があるのだろう。
 戦争画は描かれていることだけでなく、見る側の社会や人々の変化も見せてくれる。美術館にまた、その意味を考えに行きたい。」と締めくくった。
 これを読んで、急に東京近代美術館へ行ってみたくなった。
 今日の朝、今回の展示は今日が最終日でもあり、急に思い立って、柏―上野―大手町―竹橋と電車と地下鉄を乗り継いで、東京近代美術館へ行ってきた。「アッツ島玉砕」をマジマシ見てきた。お賽銭を上げる気持ちにはなれなかったが、そのリアルさに驚いた。それが筆者の表現になると、「死体が折り重なり、命あるものは鬼気迫る形相で剣や銃剣を構える。白兵戦は勇壮にも悲惨にも見えた」ということになる。
 筆者の表現力にも感心したが、何よりも自分はこの絵の中ではきっと「死体で折り重なっている人物の一人」だろうなと思ってきた。
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by sasakitosio | 2015-09-13 16:21 | 朝日新聞を読んで | Trackback