憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

いのちとおかね

 8月11日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、鎌田慧氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「きょう11日に再稼働しようとしている九州電力川内原発の正門前に、三日続けてやってきた。鋼鉄製の車止めを三重にしたバリケードの前と後ろに、警官とガードマンが立ちふさがっている。こうまでしなければ、稼働できない工場とはなんなのか。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「9日の日曜は、原発すぐ裏の久三崎海岸に全国から2000人以上が集まった。このうち東京近辺から参加した109人の飛行機代の半分は、一口千円の資金カンパで賄った。
 現地へ行きたくとも時間の無いひとはおかねをだし、時間のある人がカンパで、鹿児島の原発前まで抗議にいく。相互扶助の連帯行動である。
 飛行機一台をチャーターしよう、と最初は気宇壮大だったが、時間が足りなかった。
 いま、脱原発も脱戦争も辺野古新基地反対も、市民一人ひとりの決意性と責任性で行われている。それだけに、何があっても挫折せず、ひるむことなく持続している。
 かってのように、大労組や政党が組織動員しなくても、たくさんの市民が集まるようになった。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「原発が喧伝してきた、安全、安価、安定のウソは、すべて破綻した。まだ原発にかじりついているのは、電機メーカーと電力会社などの関連業界、そこから金銭的、政治的利益をえている政治家たち。今や少数だ。
 いのちをカネに換える、バチ当たりたちに、未来はない。」と締めくくった。
 読んで納得した。
 「いま、脱原発も脱戦争も辺野古新基地反対も、市民一人ひとりの決意性と責任性で行われている。」こと、
 「かってのように、大労組や政党が組織動員しなくても、たくさんの市民が集まるようになった。」こと、等等を教えてくれた。
 大労組や政党の影響が、脱原発にも脱戦争も辺野古新基地反対にも、少なくなったとの指摘は、民主主義の新しい形なのか?
 若い頃、組織労働者と前衛政党による「革命・体制変革」の話を聞いたことがある。
 が、今の時代は、労働者の意識の変化と組織の弱体化、政党の前衛性の欠如、党利党略の顕在化、ネット社会の深化・拡大、等々「民主主義の形」に大きな変化が来ているのかもしれない、と思った。
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by sasakitosio | 2015-08-12 06:28 | 東京新聞を読んで | Trackback