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by sasakitosio

砂川判決 司法自ら歴史の検証を

 7月21日朝日新聞社説に、「砂川判決 司法自ら歴史の検証を」との見出しで、「統治行為論」を最高裁が打ち出した砂川判決のことが載った。
 今日は、この社説を学習することにした。
 まず社説は、「最高裁は、憲法の番人と呼ばれる。行政から、立法から、そして言うまでもなく外国政府から独立した存在であることが司法の公正さの礎である。
 ところが半世紀前、その原則を揺るがすできごとがあった疑いが今も未解決のままだ。「砂川判決」の背後にある米政府と最高裁長官との関係についてで、当時の被告が裁判のやり直しを求めた審理が終盤を迎えた。
 司法は自ら史実を顕彰し、国民の疑念に応えるべきだ。」と切り出した。
 つづけて社説は、「1957年、米軍基地の拡張に反対するデモの学生らが、刑事特別法違反に問われた。
 2年後、日米安保条約の改定を前に世論が盛り上がるなか、
 東京地裁は「米軍駐留は憲法9条違反」として無罪を言い渡した。だが9か月後、最高裁は破棄し、差し戻した。
 日米安保条約のような高度に政治的な問題は判断しない。いわゆる「統治行為論」を最高裁判所は打ち出し、今も重い影響力を持っている。
 この判決をめぐる疑義が明るみに出たのは2008年以降。
 裁判当時の田中耕太郎最高裁長官が駐日大使らと判決前に会い、裁判の情報を伝えていたとの米政府の公電が公開された。
 条約改定を進めたい日米両政府に取って「米軍駐留は違憲」との一審判決がいかに不都合だったかは、想像にあまりある。
 米大使館の公電によると、大使に対し長官は一審判決は誤っていたとし、最高裁では全員一致で判決して「世論を乱す少数意見」は避けたい。との望みを語った。
 政府高官も無関係ではない。一審判決の翌朝、外相に会った大使が判決を「正す」重要さを強調したとの文書もある。
 「公平な裁判を受けれなかった」と被告や遺族が昨年、再審を請求したのは当然だろう。
 公電は外交担当者の見方によるものとはいえ、複数の公電が伝える長官と高官らのふるまいは、司法の独立だけでなく、国家の主権すら忘れ去られていた疑念を抱かせる。」と指摘した。
 最後に社説は、「それは敗戦の影が色濃く残る往時の出来事とは決して片付けられない現代の問題である。
 米軍基地問題の訴訟をめぐり、統治行為論は、住民被害の救済を阻む壁であり続けている。
 さらに安倍政権は、今国会での成立をねらう安保関連法案の合憲性の根拠として、砂川判決を挙げた。その歴史的検証はいよいよ不可欠である。
 憲法をめぐる議論は活発になっている。国民の信頼を得るには、最高裁はこの歴史の暗部から目をそむけてはならない。」と締めくくった。
 読んであらためて勉強になった。
 「東京地裁が米軍駐留は憲法九条違反」としたこと、「日米安保条約のような高度に政治的な問題について司法は判断しない。いわゆる「統治行為論」を最高裁は打ち出しだ」とのこと、等を改めて知り、年代を調べた。一審判決は1959年3月30日、最高裁判決は1959年12月16日、自分は新聞も読まない高校生の頃だった。
 大学の図書館で、初めて憲法を読んで、憲法九条があるのに「自衛隊の存在」はなぜかの疑問を持った。
 また、憲法を読み進んでいるうちに、最高裁には違憲立法審査権があるのに、「統治行為論」などという理屈で、自らの憲法によって与えられている「判断能力」を、自ら否定したた「最高裁」は、「憲法の番人」ではなく、「権力の番犬」になり下がったと思った。50年以上たった今もその思いは続いている。
 また、社説の「複数の公電が伝える長官と高官らのふるまいは、司法の独立だけでなく、国家の主権すら忘れ去られていた疑念を抱かせる」との指摘は、重い。これでは、最高裁は「憲法の番人」の役割を放棄し、「アメリカの番犬」になり下がっていたのかと、大いなる失望を感じた。
 その上で、安倍政権が安保法制の合憲性の根拠として砂川判決を挙げていることに、政権そのものの本性(アメリカの番犬)が透けて見えないか?
 
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by sasakitosio | 2015-07-24 07:15 | 朝日新聞を読んで | Trackback