憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

政治と芸術 全体主義の教訓

 7月12日付朝日新聞朝刊4面に、「政治断簡」という欄がる。筆者は、編集員・前田直人氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「「なぜ政治記者に?」とよく聞かれる。私は美術大学でデザインを学んでいた経歴を持つので、不思議に思われても無理もない。
 政治を強く意識するようになった原点の一つに、19歳のときに経験したソ連旅行がある。まだ東西冷戦時代。「怖いもの見たさ」もあったが、現代のデザイン表現に大きな影響を与えた20世紀初めの美術運動、ロシア・アバンギャルドへのあこがれがあった。
 でも期待は裏切られた。古典芸術は素晴らしかったけれども、街の風景やインテリアはなんとも殺風景。現代アートらしい息吹きは、全く感じられなかったからだ。
 帰国後、無知だった私は本を読みふけった。ロシア・アバンギャルドは1930年代にスターリンに排斥され、封印されたことを知る。その後は労働者や農民を社術的に描く社会主義リアリズムという様式が公認され、迫害作品の多くは米国に流れた。
 さらに私は東西統一後の旧東独地域に足を運んだ。20世紀初めに近代デザイン・建築の礎を築いた美術学校、バウハウスがあった地。私もその教官が編んだ理論書でデザインの基礎を学んだ、その伝説の学校もナチスの弾圧で、もぬけの殻になっていた。
 政治権力が気にくわない芸術を「難解」「退廃」と排撃。意に沿う芸術家の表現力を権威の宣伝使うーー。全体主義の弾圧・統制プロセスを学び、背筋が寒くなった。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「あれから四半世紀、政治権力の恐ろしさと表現の自由のありがたさを胸に刻んだ初心を、ハッと思い出した。自民党議員の勉強会で、報道威圧発言が飛びだしたからだ。
 その勉強会の名は「文化芸術懇話会」。ゾッとして、学生時代から著作を愛読していたデザイン評論家に会いに行った。私の母校・武蔵野美術大学の柏木博教授(69)。
 権力と芸術の歴史に詳しい。
 「気味悪くないですか」
 「不気味です。言っていることが、スターリニズムやナチズムの道と同じ。言論の自由は権力の側でなく、個人の表現者のためにあるのに逆転している。一番怖いのは、政治的な力で個人の表現を圧殺することなんですよ」
 個人の心をつなぐ芸術は人間の尊厳の象徴だが、強大な政治権力の前ではもろい。そこで柏木さんが「恐ろしい」と指摘するのは、自民党の新憲法草案。「表現の自由」の保障の例外として、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を禁ずる。
 「既存のシステムに対抗するのは、現代芸術の根幹です。ロックだって、ジャズだって、草案は個人主義にも否定的だけれど、芸術家は常に個人の表現。それを根底から否定することになる。」と指摘した
 最後に筆者は、「そうだ、学生時代に大好きだった英国のパンロックなんて、「公の秩序を害する」とみなされそうな歌ばかり。でもそれが世界の若者の心を結び、元気づけた。
 自民党は。国家が個人の表現を縛る危うさを本当に理解いしているのだろうか。この問題の根はあまりにも深い。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 筆者の「政治権力が気にくわない芸術を「難解」「退廃」と排撃。意に沿う芸術家を権威の宣伝に使う――全体主義の弾圧・統制プロセスを学び、背筋が寒くなった」との感覚は共感できた。
 また、自民党議員の勉強会「文化芸術懇話会」での報道弾圧発言について、武蔵野美術大学の柏木博教授の「言っていることが、スターリニズムやナチズムの道と同じ。」との指摘は、身近に、気づかないところに「全体主義」の芽があることに気づかされた。権力者・指導者の多くは、全体主義を好み、絶対的権力を望むようになるのだろうか?ここのところは、心理学の先生に教えてほしい気がした。
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by sasakitosio | 2015-07-13 06:52 | 朝日新聞を読んで | Trackback