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by sasakitosio

「宙づりの日々」  災害列島、連帯して備える

 7月10日付朝日新聞17面に、「「月刊 安心新聞」という欄がある。筆者は、大阪大学特任教授・本社客員論説委員の神里達博氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。 
 まず筆者は、「ここのところ、誰の目から見ても大地の様子がおかしい。率直に言って、以前こんなに噴火しなかったし、こんなに揺れなかった。千年に一度と言われる東日本大震災をきっかけに、すでに日本全体の地殻が大きな活動期に入ったと指摘する専門家もいる。
 この不安な状況がいつまで続くのか、またどの程度深刻なのかはさまざまな見方があるが、私たちが無条件に安心できるような証拠は、なかなか見つからない。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「そんな今、最も厄介なのは、白でも黒でもないグレーな日々に、私たちが「宙づり」になっていることかもしれない。
 たとえば本日金曜日の夕刻、関東平野の地下深くに隠れていた断層がついに動き、直下型の巨大地震が通勤ラッシュの首都圏を襲ってすさまじい被害が出る可能性はゼロではない。だが当然のこととして私たちは、そのリスクを理由に今日、出勤を拒むわけにはいかない。
 要するに、さまざまな不安や懸念が予想されたとしても、自分の生活圏に確実に災禍が訪れるとの判断が下されるまでは、あくまでも私たちは、昨日と同じ日常を生きていくよりないのである。
 いや、仮に破局的な災害が起きたとしても、私たちはきっと、部分的にでもいつもの暮らしぶりを維持しようと努めるだろう。「日常」は強い慣性を持っている。それはかけがえのない営みであり、容易に代替できないからである。
私たちは「いま」「ここ」に居を構え、「この」生業に就き、あるいは「この」学舎に通い、「この」街とともに呼吸し、時を積み重ねてきた。この生活を、他のやり方で代替することはさまざまな苦痛と困難を伴うだろう。私たちの「日常」は、単なる消費や生産といった行為に還元できない、個人の存在そのものと深く結びついているのである。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「ある意味でこのちょうど逆が、「風評被害」と呼ばれる現象ではないか。現実を直視するならば、日本列島は、至る所で噴火の被害が生じうるし、巨大地震が起きないと断言できる土地など、ほとんどない。
 それはまさに歴史が証明している。
 しかし、ある日、特定の地域に限局された、なんらかの「兆候」、たとえば噴火の兆しが現われたならば専門家も行政も無視するわけにはいかないだろう。その判断に不確実性が伴うのは間違いないが、学術的な理論と観測データによって、その地域にある種危険が迫っているというシナリオが示唆される以上、地図に線が引かれ市民生活や商業活動は制限されることになる。そうやって、長期的にはどこも危ないはずなのに、短期的には特定の地域だけが名指しされる。そして、その事実自体が、外部に住む人々の「想像力」を刺激し、合理的に考えるならば安全とされる場所であっても、何らかの理由で「警戒地域」との近隣性が意識されるならば、たとえば「客足の減少」といった現象を、現実に惹起してしまう場合がある。
 このような「風評被害」の本当の原因は何だろうか。報道の仕方なども影響するだろう。消費者の考え方や、リスクを読み解く力の違いによって結果は大きく変わるだろう。
 しかし、この現象が起こるかどうかに最も影響を与える原因は、残念ながら、当地域の持つ総合的な効用が、他の方法で代替できるかどうか、という点にあると思われる。
 むろん、同じ場所であっても、その土地と人間の関係性によって、代替可能性は変わる。だが「消費者と生産者」という関係以上の結びつきがない場合、その地域の持つ経済的価値を他の方法で代替できるならば、どれほど軽微なリスクの兆候であっても、そこを避けようとするのが標準的な消費者の行動である。
 このように考えていくならば、科学的不確実性を伴うリスク情報が保障された現代社会を生きる以上、その商品やサービスの価値が何らかの形で代替可能であれば、程度の差はあれ、風評被害の発生は避けられない、という厳しい結論にいたるだろう。消費者のマインドや、報道マナーも重要だろうが、それらはこの問題の本質を突いたのではないと考えられるのだ。
 ではどうすべきか。自由な消費活動を抑制したり、情報を統制したりすることでも、風評被害は防げるだろうが、それはあまりにも副作用が大きい。
 そこで一つのアイデアとして、潜在的な被害地域が幅広く連帯し、風評被害に備えて保険金を積み立てるのはどうだろうか。濃淡はあれ、この列島はいたるところに地殻変動のリスクが隠れているのだから、将来、風評被害を受ける可能性がある地域が、今、風評に苦しむ地域の人々に手を差し伸べ、支え合うことは、もっとも理にかなっているように思われる。
」と指摘した。
 最後に筆者は、「だがこのように考えると気付かされることがある。それは代替可能でないものには保険かけようがない、という事実だ。そう、首都圏がやられたら、誰がそれを支えられるのか。まさに「かけがえのない街」だからだろうか。今のところ、首都圏から人々が逃げ出す気配はない。
 しかし、「その日」が来る前に私たちは、首都の代替ができる都市を用意して、少しでも価値あるものを分散させ、また人口の密度を下げることで、できる限りの「保険
を掛けておくべきではなかろうか。
 「宙吊りの日々」が、いつまで続くのか分からない。
 だが唯一「備えること」だけは、グレーな日々を生きる私たちに許されている。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 特に、筆者の「風評被害の本当の原因」は、「他の方法で代替できるできるかどうか」にあるとの指摘は、新鮮な感じがした。その視点で見ると、日本からの輸出品で原発がらみの放射能問題で外国から「締め出し」や「規制」がかかっているのは、理解できる。
 また、筆者の「潜在的な被害地域が幅広く連帯し、風評被害に備えて保険金を積み立てるのはどうだろうか」との提案は、面白い。ただ、日本全体の風評被害は誰が保険するかが問題のような気がするが?
 そして、筆者の「首都の代替えができる都市を用意して、少しでも価値あるものを分散させ、また人口密度を下げることで、できる限りも「保険」を掛けておくべきではなかろうか」との指摘は、その通りだと思った。この点、1000年に一度と言われる東日本大震災の後の「東北」の地は、そこに首都東京の壊滅時の保険として、都市機能を移すことが良いような気がするが、そんな議論を聞いたことがない。
 また、「風評被害どころではない」福島の原発事故の現実があったのに、原発存在都市は動揺した様子は見えないし、再稼働を許容する都市も続発しているのは、原発事故時の代替都市・代替場所がないからなのだろうか?これは、ものすごく怖い話のような気がした。
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by sasakitosio | 2015-07-12 09:36 | 朝日新聞を読んで | Trackback