今は三猿の時にあらず
2015年 06月 24日
今日は、この筆者にに学ぶことにした。
まず筆者は、「「見ざる聞かざる言わざる」。あまりにも良く知られたこの「三猿」は、故事的には美徳の象徴の位置づけになる。他人の欠点を見ず、その欠点について聞かず、その欠点を語らない。これぞ品位ある振る舞いだ。それが、三猿の教えだということになっている。
それはそれで良く分かる。古来の教えにケチをつけるつもりはない。だが、人は時として三猿を決め込むわけにはいかない事態に当面する。
自分たちの周囲で進行する変化に目を向けない。それに耳を傾けない。そのことに黙して語らない。そんな風にしていると、ふと気がつけば、とんでもなく怖いところに連れて行かれてしまっている。そんな場面がある。
「三猿」は英語にもある。「悪をみず、悪を聞かず、悪を語らず」(see no evil,hear no evil,speak no evil)それが正しきあり方だ。
そのように言う。これもごもっともだが、やはり、時と場合による。状況によっては、悪を見すえ、悪の足音を聞き取り、悪の悪たるゆえんを語る必要がある。」と切り出した。
続けて筆者は、「今の日本が、そのような時期を迎えている。それこそ、そう「言わざる」を得ない。政治が、目を見張る不遜さをもって立憲的枠組みに逆らおうとする。耳を覆いたくなる詭弁を弄して、悲鳴を上げたくなる言動の数々で、民主主義を愚弄する。このような時に、三猿のポーズを取っているわけにはいかない。
今この時、見ざる聞かざる言わざるは、決して許されない。
もっとも、思えば、今の日本においては、もっと許されない構えを取ることが流行っている。流行の最先端を突き進んでいるのが政府・与党だ。
「見ざる聞かざる言うばかり」。これが、彼らの流儀だ。
かれらの目は決して見ようとしない目だ。
彼らの耳は聞く耳持たずの耳だ。
かれらの口からは、浮ついた饒舌ばかりが止めどなく流れ出る。
彼らは「ご説明」が大好きだ。
この「ご説明」は、自分たちによる自分たちのための自分たち流の説明だ。相手が説明してほしいことを、説明するわけでは決してない。ましてや、相手による説明や主張や問題提起を聞こうという姿勢は、全くみられない。
「政治指導者の耳の中では、人々の声が鳴り響いていなければならない」。第28代アメリカ大統領、ウッドロー・ウイルソンの言葉だ。今の日本の政治指導者の耳の中では、何が鳴り響いているのだろうか。ひょっとすると、軍靴の音か。
ウィストン・チャーチルはこういっている。「立ち上がって声を上げることには、勇気がいる。座って耳を傾けることにも勇気がいる」。そういえば、最近の国会には。じっと座っていることができなくて、すぐ立ち上がって声を上げようとする人がいる。」と指摘した。
最後に筆者は、「28代目のウッドロー・ウイルソンに対し、バラク・オバマは第44代アメリカ大統領だ。
二人の大統領の間には随分と時の流れの隔たりがある。だが、彼らの感受性は共通している。昨年11月の中間選挙で、オバマ氏率いる民主党は共和党に大敗北を喫した。超低投票率だったこの選挙を受けて、オバマ氏はいった。
「投票に出向かれた皆さん。私には皆さんの声が聞こえます。投票されなかったみなさんのお声も、聞こえています」。
何も聞こえず、何も見えず、言いっ放しは、真摯な政治にかなわざる。」と締めくくった。
読んで勉強になった。
「他人の欠点を見ず、その欠点について聞かず、その欠点を語らない。これぞ、品位のある振る舞いだ。それが三猿の教えだということになっている。」、「「三猿」は英語にもある。「悪を見ず、悪を聞かず、悪を語らず」」を、今更ながら、教えてもらった。
「「政治指導者の耳の中では、人々の声が鳴り響いていなければならない」は、第28代アメリカ大統領、ウッドロー・ウイルソンの言葉だとのこと。
ウィンストン・チャーチルは、「立ち上がって声を上げることには勇気がいる。座って耳を傾けることにも、勇気がいる」と言っているとのこと。
オバマ大統領は、中間選挙の大敗北の後、「投票に出向かれた皆さん、私には皆さんの声が聞こえます。投票されなかった皆さんの声も、聞こえています。」と言ったとのこと。
外国人のいい話を聞いた気分だ。
人は持ちなれない「大金を持つ」と、狂うという話を聞くが、権力者はたまに絶対多数を持つと「濫用」したくなるのだろうか?