学問と権力
2015年 06月 18日
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「安保法制のずさんさがあらわになり、政府・与党も焦っているようだ。
憲法学者の違憲発言に腹を立てたか、自民党の高村正彦副総裁が、憲法学者は憲法の字面に拘泥するとか、学者の言う通にしたら平和は保てるかと、八つ当たりを言っている。学者にけんかを売るなら喜んで買う。」と切り出した。
つづけて筆者は、「憲法学者が憲法の言葉にこだわるのは、数学者が「1+1=2」という論理にこだわるのと同じくらい当たり前の話である。高村氏は権力者の意向で1+1が3にでも4にでもなる独裁国家をつくりたいのか。
私は、学者の言う通すればみんな幸せになるなどと、おごったことは言わない。しかし、戦後日本で、学者が法理に照らして為政者に批判を加えたからこそ、為政者は自分たちのやり方を考え直した。憲法九条の下で専守防衛、集団的自衛権不行使などの平和国家路線はそのようにして生まれたのである。学者が権力への批判をしなかったら、日本はまったく別の国になっていたに違いない。」と指摘した。
最後に筆者は、「折しも、文部科学省は国立大学の人文社会系の学部を廃止しようとしている。
文科系の学問の目的の一つは、権力と正義の識別を教えることにある。強者に対しても臆せず理非曲直を明らかにすることこそ、学問の力である。
どうやら日本は、秦の始皇帝時代を目指しているようである。」と締めくくった。
読んで面白かったし、その通りだと思った。
特に、「自民党の高村正彦副総裁が、憲法学者は字面に拘泥するとか、憲法学者の言う通りにしていたら平和は保てるのかと、八つ当たりを言っている」との指摘は、自民党中枢の慌てふためいている姿そのものを反映しているようで、面白い。
「学者にけんかを売るなら喜んで買う」という「筆者の気合い」は、素晴らしいと思った。こういう人が「学者」の中にたくさん存在することが、日本社会の平和と安全に、不可欠だと思った。