憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

構想力を欠いた平和主義

 6月14日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、哲学者・内山節氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「1970年ごろまでの日本の戦後史は、新しいものを獲得していく歴史であったように思う。はじめに、平和と民主主義の獲得があった。そして高度経済成長期に入ると経済的豊かさの獲得がすすみ、子どもたちの進学や海外旅行なども手に入るようになった。
 ところが70年代に入ったころから、私たちは失われたものがあることに気づくようになった。
 最初に気づいたのは自然の喪失や環境の悪化だった。環境問題自体は、50年代後半から水俣病や都市公害が問題なっていたが、われわれの文明が何かを失わせたという感覚が芽生えてくるのは、このころからだった。
 それ以降私たちは、次々に失われたものを「発見」するようになった。地域社会が失われていた。
 コミニュニテイーも、人と人との関係も、人と自然の関係も。いつの間にか食べ物や、それを作ってくれた人への感謝の気持ちも失われていた。さらに忙しさに追いかけられるばかりで、創造的な時間や、余裕のある時間も失われていたと感じ始めた。
 人間はそれが失われたときに、はじめてその価値に気づくものである。」と指摘した。
 つづけて筆者は、「戦後の日本は、獲得してきたものの陰で、いろいろなものを失ってきたのである。そして現在の安保法制をめぐる動きをみると、今の政権は戦後に獲得しようとしたものまで、喪失させようとしているようだ。
 戦後社会は、平和への誓い、不戦の誓いから出発した。それは悲惨な戦争体験から生まれた人々の願いであったばかりでなく、武力行使をすることの愚かしさを直視し、すべての紛争の平和裏に解決していく知恵を、総動員して行こうという決意でもあった。だから、それは、平和への新たな実験でもあったのである。
 どうやら現政権はこのことが気に入らないらしい。武力行使しないでものごとを解決していこうとする姿勢が、敗戦国に押し付けられた屈辱としか映らないのだろう。
 そうゆう発想になってしまう理由は、紛争を平和裏に解決するための構想力が欠如しているからである。
 戦後の日本は、日米同盟の下での「平和」しか考えてこなかった。武力行使や武力的威圧の部分を米国に依存した上での、「「平和」でしかなかったのである。
 日本が独自の構想力を持ち、武力によらない長期的な平和戦略を構築してきたわけではなかった。紛争を平和裏に解決して知恵の総動員が、全く確立していなかったのである。」と指摘した。
 最後に筆者は、「戦後レジュームからの脱却を主張するなら、それは武力を行使できる国になることではない。日米同盟だけに依存して、武力に依存しない世界づくりを進める構想力を欠いてきた。これまでの歴史を乗り越える努力こそが、戦後レジュームからの脱却である。
 自衛隊が世界各地で展開し、戦死者や日本への報復攻撃が行われたときはじめて、平和が失われたと気づく愚かしさを、私たちは経験してはならない
 戦後の平和主義は不完全だったのである。米国の軍事力に依存することなく平和を獲得していく構想力を欠いていた。
 とすると、今の課題は、武力に依存しない世界を作り出すためにも、実質改憲といってもいい安保法制を葬り去ることである。」と締めくくった。
 読んで面白くためになった。
 戦中に生まれ、戦後に育ち、いま老後にある自分にとって、筆者指摘の「子どもたちの進学や海外旅行」も手にはいるようになり、「自然の喪失や環境の悪化」を肌で感じ、「コミニティーも人と人との関係も。いつの間にか食べ物や、それを作ってくれた人への感謝の気持ちも失われていた。」ことに気づいている。
 筆者の「これまでの歴史を乗り超える努力こそが、戦後レジュームからの脱却である」、「戦後の平和主義は不完全だったのである。」「米国の軍事力に依存することなく平和を獲得していく構想力を欠いていた。」指摘は、理解出来た。
 米軍の軍事力に依存することなく、平和を獲得していく「構想力」・「実践力」を構築するためには、今の平和憲法を、世界へ拡げ未来へつなげることが大前提のような気がした。
 憲法前文を、国民挙げて実践したいものだ、と思った。
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by sasakitosio | 2015-06-17 06:04 | 東京新聞を読んで | Trackback