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by sasakitosio

クズネッツ曲線‐‐冷戦さなかのよい報せ「21世紀の資本」学習ノート⑧

 15ページ「クズネッツ曲線――冷戦さなかのよい報せ」の項目を学習することにした。
 筆者は「実をいうと、1913年から1948年にかけての米国の所得が大幅に圧縮されたのは、ほとんど偶然の産物だというのをクズネッツ自身もよく知っていた。
 これは大恐慌と第二次世界大戦がひきおこした複数のショックにより生じたものがほとんどであり、自然又は自動的プロセスによるものはほとんどなかったのだ。
 1953年の著作でクズネッツは、自分の時系列データを詳細に分析して、読者に拙速な一般化をするなと警告している。でも1954年12月のアメリカ経済学会のデトロイト大会で、会長だったクズネッツは1953年よりはるかに楽観的な解釈を提示している。この講演は1955年に「経済成長と所得格差」という題名で刊行され、これが「クズネッツ曲線」理論を生み出した。
 この理論によると、あらゆるところで格差は「釣り鐘型の曲線」にしたがうはずだという。つまり、最初は増えるが、工業化と経済発展の進展につれて今度は減るのだ。クズネッツによると、工業化の初期段階に伴って自然に格差が増大する第一段階(国ではおおむね19世紀)に続いて、急激に格差が減る時期がやって来る。これは米国で破20世紀前半に始まったとされる。
 クズネッツの1955年論文は示唆的だ。読者に対し、データは慎重に解釈すべきだという理由を各種挙げて、最近の米国における格差減少では外的ショックが明らかに重要だったことを指摘したあとで、クズネッツは、実にさりげなく、ほとんど無邪気に、経済発展の内的な論理もまた各種の経済政策や外部ショックとまったく関係なしに、同じ結果を生み出すかもしれないと述べる。考え方としては、工業化の初期に格差が増えるのは、工業化がもたらす新しい富から利益を得る用意がある人々はごく少数だから。ということになる。  
 後に発展がもっと進んだ段階になると、人口の中で経済成長の果実に参加できる比率はますます高まるので、格差は自動的に減るというわけだ。
 工業発展の「進んだ段階」というのは、工業化諸国では19世紀末あたりか20世紀初頭に始まったとされ、米国で1913年から1948年にかけて見られた格差低減は、もっと一般性ある現象の一例ということになる。この現象は理論的には、当時植民地時代以後の貧困にあえいでいた低開発国を含め、いたるところで再現されるはずだった。
 クズネッツが1953年著書で示したデータは、強力な政治的武器となった。当人は、自分の理論形成がかなりの憶測を含むものだということを熟知していた。だが、一方では、米国の経済学者たちにとっての主要な専門学会に対し「会長演説」という文脈でこれほど楽観的な理論を提示することで、自分がかなりの影響力を得られることも知っていたのだ。
 この観客は、自分たちの権威あるリーダーが発表したよい報せを信じ、広めてくれる傾向が高いはずだからだ。
 こうして「クズネッツ曲線」が生まれた。ここで何が問題になっているかをみんなに理解させるため、クズネッツは聴衆に対し、自分の楽観的な予測は単に低開発国を「自由世界の軌道にとどめる」のが狙いなのだと念を押した。
 つまり、クズネッツ曲線の理論はかなりの部分まで冷戦の産物だということだ。
 誤解なきように言っておくと、初の米国国民経済計算データを確立し、格差指標の初の時系列データを集めたクズネッツの業績は、極めて重要なものだし、著書読むと(論文とちがって)かれが真の科学的倫理を持っていたことは明らかだ。さらに、第二次大戦後の先進国すべてにで見られた高い経済成長率は、大きな意義を持つ現象だったし、それと同じくらい重要な点として、あらゆる社会集団がその成長の果実を享受できた。栄光の30年がある種の楽観論を育み、富の分配をめぐる19世紀の終末論的な予言が、ある程度人気を失ったのも十分理解できる。
 それでも、魔法のようなクズネッツ曲線理論は相当部分まちがった理由のために構築されたものであり、その実証的な根拠はきわめて弱いものだった。1914年から1945年にかけてほとんどの富裕国に見られた、急激な所得格差の低下は、なによりも二度の世界大戦と、それに伴う激しい経済的ショック(特に大きな財産を持っていた人々にたいするもの)のおかげだった。クズネッツが描いたようなセクター間モビリティといった、穏やかなプロセスとはほとんど関係なかったのだ。」としている。
 読んで勉強になった。
 「栄光の30年がある種の楽観論を育み、富の分配をめぐる19世紀の終末論的な予言が、ある程度人気を失ったのも十分理解できる」との指摘は、大いに理解出来た。
 また、「魔法のようなクズネッツ曲線は相当部分がまちがった理由のために構築されたものであり、その実証的な根拠はきわめて弱いものだった。」との勇気ある指摘は、筆者が「1914年から1945年にかけてほとんどの富裕国で見られた、急激な所得格差の低下は、何よりも二度の世界大戦と、それに伴う激しい経済的なショック(特に大きな財産を持っていた人々に対するもの)のおかげだった。」との結論を実証的な根拠で確信していたからだと、思った。
 その結果、筆者は「クズネッツが描いたようなセクター間モビリティといった、穏やかなプロセスとはほとんど関係なかったのだ」と言い切った。すごいことだと、思った。
 
by sasakitosio | 2015-05-23 19:57 | 「21世紀の資本」学習ノート | Trackback