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by sasakitosio

マルクス無限蓄積の原理ーー「21世紀の資本」学習ノート⑥

今日は、 8ページの「マルクス――無限蓄積の原理」の項目を学習することにした。
 著者は、「マルクスが1867年に「資本論」第一部を刊行したのは、リカードの「経済学と課税の原理」刊行のちょうど半世紀あとだったが、その頃には社会経済の実相は大幅に変わっていた。問題はもはや、農民が増大する人口を食わせ続けられるか、地価が高騰するか、ということではなく、そのころにはすでに全面的に花開いていた工業資本主義の力学を理解することだった。
 当時の最も衝撃的な事実は、工業プロレタリアートの悲惨だった。経済成長にもかかわらず、あるいは部分的にはそのせいもあって、そして同時に人口増と農業生産性向上に伴う地方部からの大規模な人口脱出のおかげで、労働者は都市スラムに殺到した。一日の労働時間は長く、賃金はとても低かった。新しい年の悲惨が生じ、これは旧体制下での地方部の悲惨より目に付きやすく、衝撃的で、ある面ではもっと極端なものになっていた。ゾラの「ジェルミナ―ル」、ディケンズの「オリヴァ―・ツイスト」、ユーゴ―の「レ・ミゼラブル」は、著者たちの創造力の産物ではないし、工場での児童労働を8歳以上の児童にかぎる法律(フランスでは1841年制定)や、鉱山での児童労働を10歳以上に限る法律(イギリスでは1842年)も、決して思い込みの産物ではない。フランスでは1840年に刊行されたヴィエルメ医師の「綿、羊毛、絹労働者たちの身体状態の研究」(これは弱気な新しい児童労働法を1841年に可決させた)は、フリードリヒ・エンゲルスが1945年に刊行した「イギリスにおける労働者階級の状態」と同じあさましい現実を描き出していた。
 実は、今日使えるどの歴史的なデータを見ても、賃金の購買力が上がったのは、19世紀後半――いや最後の三分の一世紀かも知れないーーになってからだった。1800年代から1850年代まで、労働者の賃金は極めて低い水準で足踏みしていたーー18世紀やそれ以前の世紀に近いか、それ以下の水準だ。
 この長期にわたる賃金停滞は、フランスだけでなくイギリスにもみられるが、この時期に経済成長が加速していたことを考えるとなおさら目立つものとなる。
 国民所得に占める資本の比率――工業利潤、地代、建物賃料――は今日得られる情報源から推定できるかぎり、英仏どちらでも19世紀後半に大きく高まった。1890年代になってやっと、その比率はちょっとだけ下がった。この時期にやっと、賃金がある程度成長に追いついたからだ。それでも私たちが集めたデータを見ると、第一次世界大戦まで格差が構造的に減った様子はない。1870—1914年でうかがえるのは、せいぜいがきわめて高い水準で格差が横ばいになったということでしかなく、ある意味では特に富の集中増大を特徴とする、果てしない非博愛的なスパイラルなのだ。戦争がもたらした大規模な経済的、政治的なショックがなかったら、この方向性がどこに向かっていたかを見極めるのはとてもむずかしい。歴史的分析と、ちょっと広い時間的な視野の助けを借りると、産業革命以来、格差を減らすことができる力というのは世界大戦だけだったことが分かる。
 いずれにしても、1840年代には資本が栄えて工業利潤は増えたが、労働所得は停滞した。当時は総国民統計はまだ存在しなかったとはいえ、これは誰が見ても明らかなことだった。
 初の共産主義・社会主義運動が発達したのはこの文脈でのことだった。その核にある議論は単純なものだ。半世紀にもわたり工業成長が続いたのに、大衆の置かれた状態が以前と同じくらい悲惨なもので、立法者に出来るのが8歳以下の工場労働者を禁じるだけだというなら、工業発展だの各種の技術イノベーションや重労働、人口移動だのに何の意味があるだろうか、ということだ。既存の経済政治システムの破綻は明らかに思えた。だから人々は、その長期的な発展につて疑問に思ったわけだ。それについては何が言えるのだろうか、と。
 マルクスは、この疑問に答えようとした。1848年「国民たちの春」(その春にヨーロッパ各地で起こった革命のことだ)とよばれるものの前夜に、かれは、「共産党宣言」を発表した。これは短い強烈な文章で、第一章はこんな有名な一節で始まっている。「亡霊がヨーロッパをうろついているーー共産主義という亡霊だ」。この一冊は、同じく有名な革命の予言で終わっている。「現代工業の発達は、したがって、ブルジョワジーが製品を生産して奪い取るための基盤自体を、その足元から掘り崩すのだ。したがって、ブルジョワジーが生産するものは、何よりも自分自身の墓堀人なのである。ブルジョワジーのの没落とプロレタリアートの勝利は等しく不可避なのだ」。
その後20年にわたり、マルクスはこの結論を正当化する長大な論考と格闘して、資本主義とその崩壊に関する初の科学的分析を提案した。この著作は未完に終わる。「資本論」第一部は1867年に刊行されたが、マルクスは残り2部の完成を見ずに1883年に死んだ。その友人エンゲルスが、マルクスの遺稿を基に、時にはかなりあいまいな断片まで使ってテキストを構築し、それを刊行したのだった。
 リカード同様、マルクスも資本主義システムの内的な論理矛盾をもとに理論を構築した。だから自分をブルジョア経済学者(かれらは市場を自律システム、つまり大きな逸脱なしに自力で均衡を達成できるシステムだと考えた。これはアダム・スミスによる「見えざる手」のイメージと。、生産は自分自身の需要を生み出すというジャン・パブティスト・セイの「法則」にしたがったものだ)とも、ユートピア社会主義者やプルードン主義者ともちがう存在として位置づけようとした。ユートピア社会主義者やブルードン主義者は、マルクスにしてみれば、労働者階級の悲惨を糾弾するだけで事足れりとしてしまい、それをもたらす経済プロセスに関する真に科学的な分析を提案していなかった。
 手短に言うとマルクスは、リカード的な資本価格モデルと希少性原理を基盤として、資本が土地不動産ではなく、主に工業用(機械、工場など)となり、蓄積できる資本の量に原理的には何の制限もなくなった世界での資本主義の動学を、もっと徹底して分析しようとしたのだった。
 実際、マルクスの主要な結論は、「無限蓄積の原理」とでも呼べるものだ。つまり、資本が蓄積してますます少数者の手に集中してしまうという必然的な傾向だ。これがマルクスによる資本主義の破滅的な終末予測の基盤となる。
 資本収益率がだんだん下がってくるか(そうなると蓄積の原動力がなくなり、資本家同士の暴力的な紛争が起こる)、国民所得における資本の比率が無限に上昇するか(そうなると遅かれ早かれ労働者たちが団結して反乱を起こす)。いずれにしても、安定した社会経済的、政治的な均衡はありえない。
 マルクスの暗い予言は、リカードのものと同じく実現はしなかった。19世紀最後の三分の一で、賃金がやっと上がり始めた。労働者の購買力改善がいたるところに広がった。そしてこれは状況を激変させてしまった。とはいえ、極端な格差は縮まらなかったし、ある意味では第一次世界大戦まで拡大をつづけた面もあったのだが。
 たしかに共産主義革命は起こったが、でもそれは産業革命がほとんど起きていない、ヨーロッパの最後進国だったロシアで生じたものであり、ほとんどのヨーロッパ先進国は他の社会民主主義的な方向性へと向かった。―――これは各国の市民にとってはありがたいことだった。先人たちと同じく、マルクスもまた持続的な技術進歩と安定的な生産性上昇の可能性は完全に無視していた。これはある程度までは、民間資本の蓄積と集積のプロセスに拮抗する力となる。
 もちろんマルクスは、自分の予言の改善に必要な統計データは持っていなかった。おそらくは、そもそも1848年に自分の結論をあらかじめ決めてしまっていたことも問題になったはずだ。マルクスは、その結論を正当化するように研究を進めたのだ。
 マルクスは一目見て分かる通り、すさまじい政治的熱意をもって書いたので、時に仕方ないとはいえ拙速な断言をいろいろやってしまった。だからこそ、経済理論はなるべく完全な歴史的情報源に基づかなければならないのだ。この点で言えば、マルクスは当時使えたあらゆる可能性を活用しきってはいない。さらに、資本の私的所有権が完全に廃止された社会が、どんなふうに政治的、経済的にまとめられるのか、という問題についてほとんど考えなかった。
 これは、何とも言いようがないほど複雑な問題であり、そのむずかしさは資本の私的所有権が廃止された国家で実施された、悲劇的な全体主義実験を見てもわかる。
 こうした制約にもかかわらず、マルクスの分析はいくつかの点で、いまだに有意義なものだ。
 まず、出発点となる問題は重要だ(産業革命中の、空前の富の集中という問題だ)。そしてそれについて、手持ちの手段で答えようとした。今日の経済学者たちもこの態度を見習うべきだ。
 もっと重要なこととして、マルクスが提案した無限蓄積の原理には重要な洞察が含まれており、これは19世紀と同じく21世紀の研究でも有効だし、ある意味でリカードの希少性原理よりも大きな懸念をもたらす。もし人口増加率と生産性の上昇率がそこそこ低ければ、蓄積された富は自然とかなりの重要性を持つようになる。特にそれが極端な割合を占めて社会の不安定要因となればなおさらだ。
 言い換えると、低成長だとマルクス主義的な無限蓄積に対して十分に拮抗できなくなる。その結果として生じる均衡は、マルクスが予測したほど暗澹たるものではないにしても、かなり困ったものになるのはたしかだ。
 蓄積は有限の水準で終わるが、その水準は安定を乱すほどたかくなるかもしれない。特に1980年代から1990年代以来、ヨーロッパの富裕国や日本で実現された、極めて高い水準の民間財産水準(国民所得の年数で測ったもの)は、マルクス主義の論理をそのまま反映したものだ。」と教えてくれる。
 この項の理解は、骨が折れ、その鮮明さも定かではないかも知れないが?
 「マルクスが1867年に「資本論」第1部を刊行した。」
 「問題は、・・・・・・その頃にはすでに全面的に花ひらいていた工業資本主義の力学を理解することだった。」、
 「当時の最も衝撃的な事実は、工業プロレタリアートの悲惨だった。」、
 「フリードリヒ・エンゲルスが1845年に刊行した「イギリスにおける労働社会階級の状態」では、あさましい現実を描きだしている。」、
 「歴史的分析と、ちょっと広い時間的な視野の助けを借りると、産業革命以来、格差を減らすことができる力というのは世界大戦だったことが分かる」、
 「マルクスは、1848年「国民たちの春」(その春にヨーロッパ各地で起った革命のことだ)と呼ばれるものの前夜に「共産党宣言」を発表した。この一冊は、「亡霊がヨーロッパをうろついているーーー共産主義という亡霊だ」という第一章で有名な一節で始まり、「現代工業の発達は、したがってブルジョアジーが製品を生産して奪い取るための基盤自体を、その足元から掘り崩すのだ。したがってブルジョアジーが生産するものは、何よりも自分自身の墓堀人なのである。ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は等しく不可避なのだ」と革命の予言で終わっている。」、
「マルクスの主要な結論は、「無限蓄積の原理」とでも呼べるものだ。」
 「たしかに共産主義革命は起ったが、でも産業革命がほとんど起きていない、ヨーロッパの最後進国だったロシアに生じたもの」
 「マルクスは、資本の私的所有権が完全に廃止された社会が、どんなふうに政治的、経済的にまとめられるのかという疑問にはほとんど考えなかった。、、、、、、、、、そのむずかしさは、資本の私的所有権が完全に廃止された国家で実施された、悲劇的な全体主義実験を見てもわかる」、
 「1980年代から1990年代以来、ヨーロッパの富裕国や日本で実現された、きわめて高い水準の民間財産水準 (国民所得の年数で測ったもの)は、マルクス主義の論理をそのまま反映したものだ。」、等々は、これからの学習の「ヒントと刺激と知識」を与えてもらったような気分だ。
 
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by sasakitosio | 2015-05-09 16:59 | 「21世紀の資本」学習ノート | Trackback