憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

「愛玩犬」になっていないか

 4月28日付朝日新聞朝刊15面に、「言論空間を考える 政治権力とメディア」という欄がある。
 曽我部真裕(京都大学教授)、金平茂紀(TBSキャスター)、西田亮介(立命館大学特別招聘准教授)の三人にそれぞれ記者が聞いたことが載っている。中で、今日は、金平茂紀さんの発言カ所を学習することにした。
 まず金平さんは「思いだすのは、ジャーナリズム史に残る、佐藤栄作元首相の退陣会見です。
 佐藤元首相は開口一番「テレビカメラはどこかね。どこにNHKがいる」と言い。「新聞記者の諸君とは話をしないことにしているんだ。僕は偏向的な新聞が大嫌いなんだ。だから直接、国民に話したい」と言って退席しました。
 会見場に再び戻ってきた元首相に、記者が正面から問いただします。「総理が「新聞はけしからんテレビを優先しろ」というのは、我々は許すことはできません」。そして、記者たちは「出よう、出よう」と言って席を立ったのです。こうして元首相は記者が一人もいない会見場でカメラに向かって退陣の弁を述べることになりました。1972年のことでした。
 重用なのは、記者たちがテレビ、新聞、通信社の別なく全員、席を立ったことです。いま、同じ状況になったとしたら、記者たちはそろって抗議の意思を示すでしょうか。国民の「知る権利」に奉仕するという共通基盤がメディア内部から崩れているように感じます。」と切り出した。
 つづけて金平さんは、「政権や与党の、意に沿わない報道は排除するという姿勢がこのところエスカレートしています。
 総選挙前に、在京テレビ局に「公平中立な報道」を求める文書を出す。
 アベノミクスについての街頭録画VTRが偏っていると、首相自らが騒ぎ出す。
 さらに自民党が「報道ステーション」など個別の番組内容について局幹部を呼び付けて事情聴取するーーー。
 そこにあるのは、批判や異論など耳障なものは聞きたくないという狭量で幼稚な態度です。43年前の佐藤元首相のように、テレビを「持論をつたえるための道具」としか考えていないのではないでしょうか。」と指摘した。
 さらに金平さんは、「かって特派員として崩壊の過程を取材した旧ソ連では、ソビエト共産党が気に入らない放送が流れると、関係者を呼びつけて容赦なく処分していました。
 独裁的な権力ほどメディアに介入したがるのは、時代や体制を問わず共通しています。
 政府にとってメリットのある「政府益」と、市民の求める「公共益」は必ずしも一致しない。政府は往々にしてウソをつきます。だからこそ、権力を監視する番犬「ウォッチドッグ」としての役割が重要なのです。」と指摘した。
 最後に金平さんは、「しかし、いまや、愛玩犬のようなメディアや記者が目につきます。
 メディアと権力の緊張関係はすっかり変質してしまいました。伝えるべきことを伝えず、政治の介入に毅然たる姿勢を示せないメディアへの不信も広がっています。
 ただ、みなさんは、日本のメディアがかってのように「大本営発表」の垂れ流しに戻ることを望んでいるのでしょうか。」と締めくくった。
 よんで、佐藤元首相の「記者が一人もいない会見場でカメラに向かっての退陣の弁」を聞いたことを思い出した。ただ、いま、この記事を読んで感じる「異様さ」は、20代後半の準公務員であった自分は感じることができなかった。
 金平さんの「重要なのは、記者たちがテレビ、新聞、通信社の別なく全員、席を立ったことです」は、その通りだとおもった。ただ、退陣の弁、死に体の「首相」の記者会見でなく、就任の弁、現職の「首相」の記者会見であったら、記者諸君が皆が一致して「席」を立つことができただろうか?
 実験できないのが残念な気がした?
 金平さん指摘の「政府は往々にしてウソをつきます。だからこそ、権力を監視する番犬「ウオッチドッグ」として役割が重要なのです。」、は、正論だ。ただ、朝日新聞を半世紀近く継続して購読しているが、一面と社説に往年の「切れと突込み」の力が衰えてきたような気がしてならない。それが、私の個人的感想かもしれないが??
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by sasakitosio | 2015-05-04 06:12 | 朝日新聞を読んで | Trackback