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by sasakitosio

疑問は一層深まった 川内原発仮処分

 4月23日付東京新聞社説に、「疑問は一層深まった 川内原発仮処分」という見出しで、川内原発仮処分が載った。 今日はこの社説を学習することにした。
 まず社説は、「鹿児島地裁は、原発の新たな規制基準は適切などとして、九州電力川内原発1.2号機の再稼働をよしとした。福井地裁とは正反対の判断だ。どちらを信じるべきなのか。疑問は一層深まった。
 いったいどちらが本当なのか。
 司法の判断が真っ二つに分かれたのは、つまるところ規制基準の見方による。
 福井地裁は先週、高浜原発(福井県高浜町)の再稼働差止めを認めた中で、3.11を踏まえて定められた原子力規制委員会の新規制基準を「緩やかすぎる」と否定した。
 そこで川内原発(鹿児島県川内市)の場合にも、規制基準の用いる基準地振動(想定される最大の揺れも強さ)の妥当性が、第一の争点になった。
 鹿児島地裁は、合理性を認めた上で、基準地振動の適切さと、「耐震安全上の余裕はある」とする九電側の主張を受け入れた。
 一方、火山帯の地域性の特性として、住民側は「巨大噴火の痕跡であるカルデラ(陥没地帯)が近くに5つもある」と噴火の危険を重視したが、地裁はこれを「カルデラ噴火の可能性は小さいと考える学者の方が多い」と一蹴した。
 規制委の基準に含まれない事故発生時の避難計画は「現時点において一応の合理性・実効性を備えている」とした。
 鹿児島県の試算では、原発30キロ圏内の住民が自動車で圏外へ逃れるのに30時間近くもかかるというのだが。」と指摘した。
 つづけて社説は、「全体的に、約20年前に、最高裁が四国電力伊方原原発訴訟(設置許可処分取り消し)で示した「安全基準の是非は専門家と政治判断に委ねる」という3.11以前の司法の流れに回帰した感がある。
 だがそれは、もう過去のことであるはずだ。
 原発の安全神話は崩れ、福島は救済されていない。
 核廃棄物の行き場もない。
 3.11は、科学に対する国民の意識も変えた。
 多くの人は、原発や地震、火山の科学に信頼よりも、不信を抱いている。」とも指摘した。
 最後に社説は、「新規制基準は、地震国日本でどれほど頼れるものなのか。
 それに「適合」するというだけで、再稼働を認めてしまっていいものか。
 避難計画が不完全のままでいいのだろうか。
 司法判断が分かれた以上、規制委や政府は国民の視点に立って、その不信と不安を拭い去るよう、より一層、説明に努めるべきではないだろうか。」と締めくくった。
 よんで、社説の内容はよく分かった。
 それから、鹿児島地裁の決定を聞いて、こんなものかもしれないと思っていた。裁判官の独立が保障されているのだから。その分、福井地裁の裁判官の見識の高さが光り輝くように思えた。
 ふと、ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」という言葉を思い出した。規制委員長も、鹿児島地裁の判事も、現代の「凡庸な悪」に見えてならないが?ただ、いまは、平和と民主主義と基本的人権の保障された「日本国憲法」のもとにあり、凡庸でない「マスメディア」もある。ネットもある。
 
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by sasakitosio | 2015-04-23 07:29 | 東京新聞を読んで | Trackback