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by sasakitosio

統治の具と成す不見識 権力と放送法

 4月16日付東京新聞社説に、「統治の具と成す不見識 」という見出しで、権力と放送法の問題が載った。
 今日は、この社説を学習することにした。
 まず社説は、「権力はなぜ、かくも安易に放送法を振りかざすのか。放送内容に誤りなきを期すのは当然だが、放送当局を萎縮させ、表現の自由を損ねてはならない。
 きっかけは3月27日夜、テレビ朝日系列で放送された「報道ステーション」だった。
 この日が最後の出演とされたコメンテーター、元経済産業省官僚の古賀茂明氏が「菅義偉官房長官をはじめ、官邸の皆さんからバッシング(非難)を受けてきた」と述べると、管氏は30日の記者会見で「事実無根」と反論し、こう付け加えた。「放送法という法律があるので、テレビ局がどう対応するか、しばらく見守りたい」
 自民党はあす、テレビ朝日などの経営幹部を呼び、番組内容について説明を求めるという。
 放送事業を規定する放送法は不偏不党、真実、自律を保障することで表現の自由を確保し、健全な民主主義の発達に資することが目的だ。放送番組は法律に基づく以外は誰からも干渉されないことが明記され、同時に政治的な公平、真実を曲げないこと、意見が対立する問題は多くの角度から論点を明らかにすることも求めている。」と教えてくれる。
 つづけて社説は、「放送は、政権や特定勢力の政治的宣伝に利用されるべきではない。大本営発表を垂れ流して国民に真実を伝えず、戦意高揚の片棒を担いだ先の大戦の反省でもある。
 政治的に偏ったり、虚偽を放送しないよう、放送局側が自ら律するのは当然だが、何が政治的公平か、真実は何かを判断することは難しい。にもかかわらず政治権力を持つ側が自らに批判的な放送内容を「偏っている」と攻撃することは後を絶たない。
 さかのぼれば1968年、TBSテレビ「ニュースコープ」のキャスターだった田英夫氏(2009年死去)がベトナム戦争報道をめぐり「解任」された件がある。」と切り出した。
 つづけて社説は、「田氏は前年、北ベトナムの首都ハノイを西側陣営のテレビ局として初めて取材し、戦時下の日常生活を伝えた。以前からTBSの報道に偏向との不満を募らせていた自民党側は放送後、TBS社長ら幹部を呼び「なぜあんな放送をさせたのか」と批判する。
 このとき社長は、ニュースのあるところに社員を派遣し、取材するのは当然と突っぱねたが、翌68年に状況は大きく変わる。
 成田空港反対運動を取材していた同社取材班が、反対同盟の女性らを取材バスに乗せていたことが発覚し、政府・自民党側がTBSへの圧力を一気に強めたのだ。
 田氏は自書「特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと」(リヨン社)で当時の様子を振り返る。
 <当時の福田赳夫幹事長が、オフレコの記者懇談で、なんと「このようなことをするTBSは再免許を与えないこともあり得る」と発言したのです。
 これを聞いたTBSの社長は、翌日すぐに私を呼んで「俺は言論の自由を守ろうとみなさんと一緒に行ってきたのだけれども、これ以上がんばるとTBSが危ない。残念だが、今日で辞めてくれ」と言われ、私はニュースキャスターをクビになりました。>
 田氏解任の決定打は権力側が免許に言及したことだ。放送は電波法に基づく免許事業。5年に一度再免許を受けられなければ事業は成り立たない。同法は放送法に違反した放送局に停波を命令できる旨も定める。権力が放送免許や放送法を統治の具としてきたのが現実だ。」と指摘した。
 さらに社説は、「昨年の衆院選直前、安倍晋三首相はTBSテレビに出演した際、紹介された街頭インタビューに首相主導の経済政策に批判的な発言が多かったとして「おかしいじゃないですか」などと批判した。 自民党はその後、在京テレビ局に選挙報道の公平、中立を求める文書を送り、報道ステーションには経済政策に関する報道内容が放送法抵触の恐れありと指摘する文書を出した。そして管氏の放送法発言、自民党による聴取である。
 報道の正確、公平、中立の確保が建前でも、権力が免許や放送法に言及し、放送内容に異を唱えれば放送局を萎縮させ、結果的に表現の自由を損ねかねない。歴代政権は、自らの言動がもたらす弊害にあまりにも無自覚で不見識だ。」と指摘した。
 最後に社説は、「 キャスターを解任された田氏は71年、参院議員となる。2007年に政界を引退する直前、本紙のインタビューに「メディアはもっと姿勢を正さなくちゃいけないね。報道に意気込みが感じられない。引きずられているんだよ」とメディアの現状を嘆いていた。
政権による圧力に委縮せず、それを跳ね返す気概もまた必要とされている。放送法のみならず、私たち新聞を含めて報道にかかわるもの全体に大先輩から突き付けられた重い課題である。」と締めくくった。
 よんで勉強になった。
 「権力はなぜ、かくも安易に放送法を振りかざすのか」との問いに始まり、「政権による圧力に委縮せず、それを跳ね返す気概もまた必要とされている」で終わった。
 そこに、国民・有権者の支えが必要だと思った。東京新聞の紙面に社説にその覚悟を見て、ささやかな支えのためにも東京新聞を購読し続けている。
 この社説で、「田氏解任の決定打は権力側が免許に言及したことだ」との指摘は、当時の福田赳夫自民党幹事長のオフレコ発言の狙いも、社長が会社を潰されないための田氏への辞任要請したことも、ドキュメント映画を見るようによーくわかった。
 権力の地位にあるものは、「傲りと不安」をないまぜに持つもので、放送免許への言及はまさにその表徴ではないか?
 権力は国民の信託であること、それは国民の信頼あってのこと、そのことを忘れた「権力者の傲慢」は、時間の長短は有れど、圧倒的多数者である被支配者に必ず知れるのではないか?
 事実を早く広く知らしめて、その国民の苦難・被害の時間を短縮するのが、報道に携わるもの全体の仕事のような気がするが?
 
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by sasakitosio | 2015-04-20 07:29 | 東京新聞を読んで | Trackback