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by sasakitosio

八紘一宇 ~国会質問の衝撃

 3月19日付東京新聞28面と29面にわたって、「こちら特報部」という大きな欄がある。
 「八紘一宇 国会質問」、
 「 侵略戦争を 正当化」の横一段大見出しにまずびっくり。
 つづいて、「世界を一つの家に見立てて天皇が統治」
 「「満州」支配で理念復活」、
 「戦後 中曽根氏ら否定」、 
 「アジア民衆の心を刺す」
 「歴史的文脈無視は危険」等のみだしで、問題の大きさ深さを感じた。今日は、この記事を学習することにした。
 まず記事は、「戦後70年の国会で、こうした言葉が飛び出すとは思いもしなかった。「八紘一宇」だ。自民党の三原じゅん子参院議員(50)が16日、参院予算委員会で「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」と紹介した。この言葉は戦前・戦中の日本のアジア侵略を正当化する標語として使われた。発言後、自民党内、国会でも大きな騒ぎにはなっていない。その静けさが問題の根深さを示唆している。」と指摘した。
 つづけて記事は、「まず「八紘一宇」の意味と歴史を確認したい。
 この言葉の源は8世紀の歴史書「日本書紀」の記述だ。初代天皇とされる神武天皇が即位直前に「八紘を掩いて宇にせん」と抱負を述べたとある。
 八紘は八方の地の果て、つまり世界のこと。宇は家のことだ。天皇が世界を一つの家と見立てて統治しようとの理念が示された。
 ただ、これは日本書紀の編纂者による創作というのが通説だ。それ以前にあった「文選」など中国の書籍に類似した表現がある。
 専修大の荒木敏夫教授(日本古代史)は「導入されたばかりの律令制の下で、天皇の支配原理や正当性を証明するための理念として持ち出した。国家を家にたとえるのは徳のある君主として人民を慈しまなければ、王朝が滅びるという思想に基づく。近代の平等で民主主義的な家族観とは異質の考えだ。」と解説する。
 律令国家のイデオロギーの「亡霊」が復活するのは近代なってから。日本書紀を基に「八紘一宇」を造語したのは日蓮宗系の宗教家、田中智学(1861-1939年)とされる。1913年、自身が主宰する信仰団体の機関誌に記した。
 千葉大学大学院の長谷川亮一特別研究員(日本近現代史)は「田中は日蓮宗の教義を独自解釈し、日露戦争前から天皇が世界統一の使命を負っていると主張していた」と説明する。
 ただ、田中の思想は一部軍人らに影響を与え、30年代前半から軍部が八紘一宇を使い始めた。陸軍省のパンフレットや2.26事件の青年将校の「蹶起趣意書」にも引用された。
 背景にあるのが31年の満州事変と翌32年の満州国建国だ。長谷川氏は「満州は朝鮮や台湾のように併合できなかった。第一次大戦後、民族自決の風潮が国際的に浸透していたためだ。そこで、日本が満州国に対して支配的な地位に立つことを正当化する狙いで、天皇の威光が世界を覆うという八紘一宇の理念を主張した」と語る。つまり、アジア侵略を正当化する理念だったといえる。」と教えてくれる。
 さらに記事は、「政府は37年、戦意発揚のために「八紘一宇の精神」と題する冊子を発行し、40年にはこの言葉を含む「基本国策要綱」を閣議決定した。宮崎市に「八紘一宇の塔(現・宮崎市)」が建てられるなど、草の根にも浸透していった。
 文部省が学校に配布した「大東亜戦争とわれら」(42年)という冊子も「戦争完遂の大目的」が「万邦が各々所を得て、あひともに栄えゆくやうにすること」で「八紘為宇」の精神に基づくと説いた。
 やがて、敗戦。連合軍司令部(GHQ)は45年、八紘一宇を「軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザルモノ」として公文書での使用を禁じた。
 その後、戦後一貫して時の閣僚たちが「八紘一宇」を否定している。
 53年8月7日の衆院文教委員会では、大達茂雄文部相が「八紘一宇などという歴史教育のやり方を復活する考えは毛頭ない。(略)やはり偏っていた」と明快に否定した。
 83年3月16日の参院予算委でも「八紘一宇を平和主義のシンボルと考えるか」と問われた中曽根康弘首相が「(略)戦前の限定された意味が非常に強くあり、私自体はそういうものをとりません」と答えている。」と教えてくれる。
 さらに続けて記事は、「三原議員は「こちら特報部」の取材に対し、文書で回答を寄せた。
 「八紘一宇という言葉が、戦前他国への侵略を正当化するスローガンや原理として使用されたという歴史的事実は承知しているし、侵略を正当化したいなどと思っていない。
良くない使い方をされた経緯を認めた上で、この言葉は、戦争や侵略を肯定するものではないことを伝えたかった。」と説明した。
 さらに、この言葉との出会いは「13年2月11日の建国記念日に、神武天皇の「建国のみことのり」をブログで紹介するにあたって勉強した」際という。
 一方、自民党の谷垣禎一幹事長は17日の記者会見で、「必ずしも本来、否定的な意味合いばかり持つ言葉でないと思う」と三原議員を擁護した。
 しかし、党内には戸惑いの声えもある。
ある閣僚経験者は的を交わした麻生太郎副総理兼財務相の答弁を「バランスが取れていてよかった」と評価。
 別のベテラン議員も「普通なら三原議員の世代は使わない単語、誰かに知恵をつけてもらったのか」と苦笑した。
 若手議員は党の印象悪化を心配する。「さすがに党が使うよう指示したとは思えない。仲間内では「元の意味は良くても、戦前、戦中の単語を持ち出すのは勘弁して」と話している」
 三原議員は、委員会で清水芳太郎(故人)が書いた八紘一宇に関する抜粋を配布した。清水は戦前に国家主義思想団体を主宰した人物で「一番強いものが弱いもののために働いてやる制度が家」「世界で一番強い国が弱い国、弱い民族のために働いてやる制度ができた時に、世界は平和になる」などと記されている。
 結局「一議員の発言で、表現の自由もある」(ベテラン野党議員)などの理由で、三原議員の質問は委員会理事会などでは問題化されていない。だが、参院予算委員会で質問を聞いた福島瑞穂議員(社民)は「上から目線の歴史修正主義だ。次々と類似の発言がでてきたら、大変なことになる」と警鐘を鳴らしている。」と教えてくれる。
 最後に記事は「前出の荒木教授は「八紘一宇は侵略に苦しんだアジア民衆の心を刺す言葉。三原さんは政治家でありながら、他者への痛みへの想像力を欠いている」と話す。長谷川氏も「歴史的な文脈を無視した安易な使用が一般化するのは極めて危険だ。八紘一宇の理念の下に推し進められた侵略戦争の正当化にもつながりかねない」と危ぶんだ。」と締めくくった。
 読んで、大変勉強になった。
「八紘一宇」の意味は、「天皇が世界を一つの家と見立てて統治しようとの理念」であること。
 また、この言葉は、田中智学(1861~1939)が自身が主催する信仰団体の機関誌に記した、ものであること。
 この言葉は、「アジア侵略を正当化する理念」だったとのこと。
 連合軍司令部(GHQ)は45年、八紘一宇を「軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザルモノ」として公文書で使用を禁じたとのこと。
 中曽根康弘首相が「(略)戦前の限定された意味が非常に強くあり、私自体はそういうものはとりません」と答えているとのこと。
 この記事のおかげで、知ることが多かった。
 記事のはじめに、「発言後、自民党内、国会でも大きな騒ぎになっていない。その静けさが問題の根深さを示唆している」との指摘は、妙にここに残った。ここは、マスメディア特に新聞社の力を持って、国会議員全員に、三原じゅん子参院議員の発言について、意見を聞いて、それを新聞紙上に公表してほしいと思った。
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by sasakitosio | 2015-03-22 08:33 | 東京新聞を読んで | Trackback