憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

原因不明で動かせるか

 3月8日付東京新聞社説に、「原因不明で動かせるか」の見出しで、原発再稼働のことが載った。今日は、この社説を学習することにした。
 まず社説は、「福島の原発事故から4年がたとうとしているが、事故原因は不明のままです。それで再稼働を急ごうとするところにそもそも無理があるのではないか。 
 たとえば自動車の設計などの問題で事故を起こしたら、原因を突き止め、同種の車も直したうえで走らせるではありませんか。子どもでも分かることです。原因究明が不十分なままでは再稼働にかかわる議論に入れない、と言い続けているのは、新潟県の泉田裕彦知事です。
 県には東電・柏崎刈羽原発があります。7基が集中立地し、地盤がよくないため、40メートルも掘り下げて建設されている。
 知事の不安は、少なからぬ国民の不安でもあるでしょう。不安は二つに分けられそうです。
 第一は、原因不明とそれをゆるしている無責任体制です。
東電はもちろん、政治家も役人も、学者もです。
 東電は政治家と役人のかげに隠れ、政治家は東電と役人のせいにし、役人は審議会など学者のたちのせいにして、結局だれも自分が悪かったとは言わない。
 学者たちはさすがにばつが悪いのか、原子力学会や地震学会は反省を述べましたが、誰が悪いのかはよくわからない。
 要するにみんな大津波のせいにして「想定外」という言葉に中へ逃げ込んだのです。いやみを言えば、私はがんばったという人しか見当たらない。」と切り出した。
 つづけて社説は、「福島の被災者から見れば、これほど人を馬鹿にした話はありません。古里は奪われたが、奪ったものが誰だかわからない。きちんと謝罪する者なく、怒りを向ける先もはっきりせず、土地を守ってきた祖先に申し訳のしようもない。
 大津波の想定を議論に乗せながら無視した者たち。
 原子炉の設計上の危うさは米国からの内部告発で知りながら放置した者たち。
 事故後情報を持ちながら伝えなかった者たち。
 それとも原発という巨大すぎる科学は、飛行機や鉄道などと違って、人が過ちを犯して破滅的結果にいたらない、フェイルセーフという手法が使えないのか。
 これらの疑問が解けないのに、場所や機種がちがうとはいえ、原発を再稼働していいのだろうか。
 百パーセントの安全は、事故後だれも言わなくなりました。
だから、避難計画づくりやヨウ素剤の配布も行われます。
しかし事故原因が不明のままでは、本当はどれほど危険なのか、実際にどれほど防止可能なのか、検討のつくはずがありません。」と指摘した。
 さらに社説は、「第二の不安は地震です。日本はあいにく地震国です。
 柏崎刈羽の地場の悪さは先に書きました。辺りは古くからの油田地帯で液状化が起きやすい。
 2007年7月16日、新潟県中越沖地震(震度6弱)で、1号機の近くでは1メートルを超す段差ができ、3号機は地盤沈下のため変圧器が出火した。核燃料プールの水は全基であふれだした。
 もしも、地震がさらに大きければ福島のようになっていたかもしれない。もちろん仮定の話ですが想像するだけでも恐ろしくなる。
 福島の事故について国会事故調の報告書は、津波より前、地震直後の配管の亀裂破断を「断定できないが・・・」という断り書きつきで大いに疑っています。動き始めたイソコン(非常用復水器)を止めたことで「炉圧の下がりが速いので、漏洩を確かめたかった」という運転員の証言を得ています。
 ただ放射線量が高くて内部をしらべられないので、確かめられないのです。
 しかし、そうならば事故原因としてあらゆる可能性、また最悪を想定するのが科学的態度というものです。新潟県知事の心配は、地震国日本ならどこでももちうる心配なのです。
 科学的に未知があるというのなら、しかし危険だけれど経済活動に不可欠だというのなら、科学的合理性の代わりに少なくとも社会的合意は必要なはずです。政治家でも役人でも電力会社でも学者でもなく、国民が主体的に決めることなのです。」と指摘した。
  最後に社説は、「1978年、米スリーマイル島原発事故の前年、オーストリアでは国民投票で過半数が反対し、スウエーデン、イタリア、が続き、ドイツはメルケル政権より前の2000年に政府と電力業界の合意で最初の脱原発方針を決めている。
 原因不明のまま、国民に是非も聞かないところに、国の政治家、役人たちの根源的な隠蔽体質があると言っても過言ではないでしょう。国民に聞けないのは、世論調査の結果がすでに非を述べているからでしょうか。もしそうならば、これほど国民をばかにした話はありません。」と、締めくくった。
 読んで、理解し、共鳴し、納得した。
 昨日、用事で新潟県に入り、巻町の生家で仏壇参りをしてきた。巻町は、住民投票をして、東北電力の巻原発を断念させ、いままた泉田県知事が真正面から柏崎刈羽原発の再稼働に異議を唱えている。次々と再稼働に同意している他県の知事を新聞で見るにつけ、「ごく自然なわかりやすい対応をする、し続ける」泉田知事の非凡さに、誇りさえ感じる。ちなみに、ふるさと旧巻町(現新潟市西蒲区)は越後線で新潟と柏崎の中間にある。
 泉田知事が「原因不明のままでは再稼働に関わる議論に入れない」と言い続けていることは、よく分かる。
 確かに、「事故原因が不明のままでは、本当はどれほど危険なのか、実際にどれほど防止可能なのか、検討のつくはずがありません」との社説の指摘は、普通の理解能力を持つ国民すべてが納得できることだと思った。
 社説が指摘する、「原因不明とそれを許している無責任体制です、東電はもちろん、政治家も役人も、学者もです。東電は政治家と役人のかげに隠れ、政治家は東電と役人のせいにし、役人は審議会などの学者たちのせいにして、結局だれも自分が悪かったと言わない」は、本当にその通りだと思う。
 今の民主主義国日本で、なぜこの不正義・不条理が4年間も放置されていまなお是正のめどが立たないのだろうか?
 間接民主主義の限界か?
 また、3月8日我孫子市で「日本の原発」という映画を見た。上映の前に、弁護士で監督で出演者でもある河合弘之さんがあいさつされた。その中で「東電に償いをさせる」と強い口調で言われた。ここに一つの無責任体制打破の糸口があるような気がした。映画にも説得力があったが、河合弘之さんのあいさつから強い信念を感じた。
 
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by sasakitosio | 2015-03-15 08:10 | 東京新聞を読んで | Trackback