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by sasakitosio

無知の功罪

 3月8日付東京新聞4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は同志社大教授・浜矩子氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
先ず筆者は、「知らぬが仏?見ぬもの清し?意味するところが少々違うが、補助金交付企業による政治献金問題の出来で、上記のフレーズが頭に浮かんだ。「「知らないこと」の功罪をどう受け止めるか。「知らなかった」人々の見識が問われる。
 つづいて三つのイメージが脳裏に浮上した。
 その一つはあるテレビ番組。
 その二つがひとつの落語。
 そして、その三つがもう一つの不正疑惑事件だ。
 テレビ番組は、英BBC放送のかっての超人気政治風刺コメディー、「かしこまりました首相」(「かしこまりました大臣」の続編)だ。本紙でも、過去に言及したことがあると思う。政治家と官僚たちの虚々実々の化かし合いを活写して、抱腹絶倒。
 その一つのエピソードの中で、首相が「私は全てを知っている必要がある」と官房長官役の古株官僚に迫る。すると古株官僚いわく、「お言葉ですが首相。知らないことについては、堂々と知らないといえます。その方がお楽な場合もあるのでは?」。古だぬきであればあるほど、無知の価値をよく承知している。
 落語は「柳田格之進」。落語というより講談に近い。柳田格之進は曲ったことが大嫌い。武士のかがみだ。
 浪人中の彼に、ひょんなことで50両の盗難嫌疑がかけられる。もちろん、不当疑惑だ。だが、それでも、彼はただちに切腹を覚悟する。いくら身に覚えがなくとも、そんな嫌疑で調べられるのは屈辱千万。疑われたこと自体が、そもそも失態。武士にあるまじきぶざまなり。生きていては、いけない。知らないことにも、責任を感じる。その気構えがすさまじい。
 もう一つの不正疑惑。イングランド銀行に関するものだ。イングランド銀行は英国の中央銀行である。疑惑の焦点は、為替相場の不正操作問題だ。リーマン・ショック前後の混迷の中で、複数の金融機関がこの問題に関与したと目されている。
 イングランド銀行は、彼らの行状を知っていたのか、知らなかったのか。知っていて放置したのか。さらには、自ら不正操作に関わっていたのか。ここにきて、英国の重大不正捜査局が解明に乗り出している。
 その中で問われているのが、イングランド銀行の監督責任だ。それを厳しく追及する向きにいわせれば、そもそも、彼らが何を知っていたか、知らなかったかを問うこと自体がおかしい。問題が発生した時点で、彼らは既にして糾弾されるべき対場に立っていた。知っていたから、けしからんわけではない。知らなかったなら、責任を問われないなどということはない。そう指摘されている。
 確かにその通りだ。中央銀行というものがそこに存在していながら、金融市場で不正が発生する。もしも、それを知らなかったのだとすれば、そのことこそ、最大の失策だろう。
 むろん、自ら関与していたとすれば世も末だ。」と指摘した。
 最後に筆者は、「政治家にとって、知らないことは責任回避の逃げ道だ。いちずなお侍にとって、しる知らないは論外だ。中央銀行にとって、知らないことは大罪だ。知る知らないの功罪は、何とさまざまであることか。
 17世紀の英国詩人、マシュー・プライア―いわく、「無知は心地よさをもたらす、みじめなのは賢人のみだ」。やっぱり知らぬが仏か。だが、世の中からみじめな賢人がいなくなったら、たいへんだ。それほど怖いことはない。」と締めくくった。
 実に面白く、ためになった。
 「政治家にとって、知らないことは責任回避への逃げ道だ」、「いちずな侍にとっては知る知らないは論外だ」、「中央銀行にとっては知らないことは大罪だ」との指摘は、社会に対しての「責任の感じ方」・「責任のとり方」の違いを際立たせてくれた。無責任や責任回避を許容する「社会の空気」を浄化する「清浄機」が欲しい気がした。
 また、昨今、やたら「有識者会議」が増えたような気がするが、筆者の言う「みじめな有識者」が何人いるのだろうか?
 
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by sasakitosio | 2015-03-11 06:26 | 東京新聞を読んで | Trackback