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by sasakitosio

テロに屈しない

 2月22日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「あの事件以来、誰もが「テロ屈しない」と叫ぶようになった。しかし、最近の政治の動きを見るにつけ、とりわけ政治家やメディアが「テロに屈しない」と唱和すればするほど、世の中全体はテロリズムに制圧されていくという逆説が存在するように見える」と切り出した。
 続けて筆者は「共産党の志位委員長の代表質問に対して、「テロ政党」というヤジが飛んだ。気に入らない政党をテロ呼ばわりするするようなものに、国会に議席を持つ資格はない。
 日本の国会議員の劣化を物語る出来事である。安倍首相はテロ事件への対応について厳しい追及を受けそうになると、テロに屈しないといってそれ以上の議論は拒否している。
いずれの例も、テロという言葉は、自分の政治的優位を得るための道具となっている。そして、テロという言葉が使われたら、メディアも深い検証を放棄し、政治の世界では議論が止まる。」と指摘した
 最後に筆者は、「テロに屈しないと言うときの主語は何か。個々の政治家はもちろんだが、日本の民主主義と自由こそ、テロに屈しない主語である。権力を持つ政治家がテロという言葉を恣意的に使って、自由な議論と活発な議会政治を封じ込めるなら、それこそ日本の民主主義がテロに屈したことを意味する。
 テロとの闘いには、言論・表現の自由を実践する勇気が必要である。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 筆者指摘の「日本の国会議員の劣化を物語る出来事」との指摘は、知り合いが国会議員になってみれば、特段に嘆く出来事ではなさそうな気がしている。その分、主権者・マスメディアの責任が「大きく・重く」なったということのような気がする。
 また「テロとの闘いには、言論・表現の自由を実践する勇気が必要である」との視点は、納得できた。
 ただ、テロと闘わない方がいいような気がしてきた。テロは「避ける、なだめる、防ぐ」ことが先で、それと「闘って」いては戦争になって、テロ集団の「思う壺」にはまるようなものではないか?という気がしている。
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by sasakitosio | 2015-02-22 07:43 | 東京新聞を読んで | Trackback