憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

「顔」のない対立

2月1日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。 

 まず筆者は、「「イスラム国」による人質事件の重苦しい空気が、われわれの胸を締め付ける。拘束されている人々とその家族の皆さんの状況を思えば、関連報道に目を向けることさえがつらい。

 いまや、解放交渉の焦点となっているのがヨルダンだ

 ヨルダンと言えば、必ず思いだす場面がある。その時は1995年10月。ヨルダンの首都アンマンで、「中東・北アフリカ経済サミット」が開かれた。中東和平プロセスの一環として開催されたものだ。ヨルダン、アメリカ、そしてロシアが共同主催役を務めた。

 このアンマン会議は、二つの理由で筆者の記憶に刻みつけられている。

 第一に、この会合の場で、イスラエルの当時の首相、イツハク・ラビン氏とPLO(パレスチナ解放機構)のヤセル・アラファト議長がパネリストとして一つの壇上で席を並べた。

 第二に、そのおよそ一週間後、95年11月4日にラビン氏が凶弾に倒れて逝去した。

 地域経済開発というテーマを語る場面で、ラビン首相とアラファト議長が席を同じくする。これは、当時においては驚異的なことだった。この光景に至るプロセスは、93年9月13日に始まった。パレスチナ暫定自治協定への調印場面である。この時、ワシントンでラビン氏とアラファト氏が初めて握手を交わした。アラファト議長は満面の笑みとともに。ラビン氏は苦悶を隠さず。

 ラビン氏の憂いはアンマン会議の壇上でも色濃かった。威勢のいいアラファト議長に比べて、ラビン首相の語り口には、悲壮感さえ感じられた。

 その彼が、帰国後のテルアビブで銃殺された。平和集会の最中であった。発砲したのは、中東和平に反対するユダヤ人青年だ。ラビン氏が、「平和の歌」の大合唱に参加している中での惨事だった。落命したラビン氏の胸のポケットに、「平和の歌」の歌詞カードが入っていた。銃弾が、その紙片を血染めにした。」と教えてくれる。

 さらに筆者は、「こうして、寄せては返す中東世界の緊張の波。その中にあって、ヨルダンは常に掛け橋的役割を果たしてきた。その位置づけは、トルコにも相通じるものがある。対立の構図の中にあって、彼らの存在は貴重にして微妙だ。微妙だからこそ、貴重だといってもいいだろう。それにしても、あの時と今とでは、同じ中東情勢あるいは中東和平問題といっても、何と趣が異なることか。この違いは何だろう。

 そう思った時、一つのことに気が付いた。それは、「顔」のある無しという問題だ。

 ラビン首相の顔。アラファト議長の顔。そして当時のヨルダンのフセイン国王の顔。それぞれイメージが鮮烈だ。

 それらの顔がどんな表情であいまみえるか。どんな変化を示すのか。その中に、われわれは成り行きのヒントをみた。敵ながらあっぱれとか。武士の情けとか。ここは敵に塩を送ってみるかとか。

 ひとまず、作り笑いをはしておくか、とか。主役たちの顔が、世界に向かって多くを語りかけていた。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「ところが、今はどうか。「イスラム国」側は、そもそも、顔をみせないことを原則としているらしい。対峙する側も特定の顔が全面に出ているわけではない。人と人が顔を合わせなくなっている。そのことの怖さ、不気味さがひときわ、状況を重苦しくしている。
 神よ、この悲惨な対立の構図に人間の顔を与えたまえ。」と締めくくった。

 日本人二人の人質の殺害、ヨルダンのパイロットの焼殺、ヨルダンでの死刑囚の死刑執行等が、2月1日以降起きている。この記事を改めて読んでみた。

 「神よ、この悲惨な対立の構図に人間の顔を与えたまえ」との筆者の結びは、神に届いたのだろうか?

  また、アラファト議長の顔も、ラビン首相の顔も、そしてラビン首相が凶弾に倒れたニュースも、まだ自分の記憶の中にある。この記事を見て、改めて、その頃の自分は「物を思わなかった」ことを知らされた。

 そして、テレビのニュースを見る時は、画面の隅々を見るように心掛けている。ニュースの中心人物・事件以外の顔・風景が見えるからだ。

 顔を合わすのは、結構緊張するものだが、それを回避する「ネット時代」の到来が、人間関係を「無機質」にしているような気がした。怖い話だ。


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by sasakitosio | 2015-02-05 06:46 | 東京新聞を読んで | Trackback