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by sasakitosio

知的メタボを脱出せよ

1月27日朝日新聞朝刊15面下に、「リレーおぴにおん」という欄がある。発言者は、英文学者でエッセイスト・外山滋比古氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 まず記事は、「今の学生は、自力で飛べないグライダーのようなもの。教えられた知識を詰め込む優等生は少なくないが、いざ論文に書きたいことを書けといわれると途方に暮れるーー。
 1983年に出したエッセー「思考の整理学」の冒頭、僕はそんな話を書きました。問題提起のきっかけは、よく勉強する学生の論文が概して知識に頼り、面白くなかったこと。逆に知識に欠けていても独自性を感じさせる論文もあった。この違いは何か。
 頭というものを知識をため込む倉庫にするのではなく「創造のための工場」にするにはどうすればよいのか。考え直す時期にきたと思いました。コンピューターが登場した頃。知識や情報をたくわえる能力では人間はかなわないことがはっきりしましたからね。
 20年ものあいだロングセラーを続けているのは、もっとも切実な問題になっているからだと思うのです。豊かな時代になり、ごみ減量や体重管理が当たり前になったように、情報過多で身動きのとれなくなった「知的メタポリック」の状況から脱してみましょう。」と切り出した。
 つづけて記事は、「幸い、人間は眠っているあいだに相当のことを忘れます。そのうえで、残った知識や情報を整理し,取捨選択する。捨てていく。頭の中をすっきりさせることで、新たな思考、発想を生み出す環境を整えていけるのです。
 情報整理術というと若い人向けの指南書も多く出ているようですが、整理することは価値判断にかかわることで、一人ひとりまったく違うもの。本来、マニュアルなどありえません。その意味で、実は中高年のほうが円熟した知恵の力で巧みに整理ができるのでは?物忘れが増えても嘆く必要はなくて、むしろ、整理力が増すのだ考えればいいのではないでしょうか。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「知的メタボについて考えることは、知識とはなにかの根本に向き合うことでもあります。生活からかけはなれた知識が高尚だという考えが根強くありますが、そんなものは悪しき教養主義に過ぎない。その人の生き方が変わるような知識。年を重ねることによって増していく知識こそが、ほんものの知識だと強調したいと思います。
 最も最近は、手っ取り早く理解したいという風潮が強まっているのを感じます。哲学などの言葉はよくわかりません。でもわからないという挫折から、知ろうというエネルギーが生まれる。「捨てる」ことと同時に、「私たちは何を知りたいのか」も考え直す時だと思います」と締めくくった。
 読んでためになった。60過ぎて自分は何も知らない、世の中には自分の知らないことだらけだと、ふと思った。また、孔子、釈迦、ソクラテス等は約2500年も前の人、キリストは約2000年前の人、マホメットは約1400年前の人、その人たちの影響が現代人をとらえて離さないのはなんだろう?人間とはなんだろう?その疑問がでてきたら、孔子のふるさと曲阜に行ってみたくなり、釈迦が悟りを開いたブッタガヤに行ってみたくなり、キリストにゆかりのエルサレムへ行ってみたくなり、数年かけて、一人で歩き回ってきた。まだまだ、疑問は解けないままだが?
 また最近は、孫からも自然からも、周りに何か面白いことはないかと、心きょろきょろ生活している。面白い毎日だ。
 また、記事の「実は中高年のほうが円熟した知恵の力で巧みに整理できるのでは?」との指摘は、物忘れが多くなった前期高齢者にとっては、元気の出る指摘であった。
 
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by sasakitosio | 2015-01-31 07:29 | 朝日新聞を読んで | Trackback