憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

テロは宗教をおとしめるだけだ

1月25日付朝日新聞2面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、特別編集委員、冨永格氏だ。 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「ぼんやりした不安はあった。フランスが自称「イスラム国」への空爆に加わった昨秋から、小銃に迷彩色の兵士が増えて有事の色が濃い。標的はエッフェル塔か、ユーロスターが発着する北駅か。「9.11」型の無差別テロは怖いけど、観光都市で暮らす以上は腹をくくるしかない。

 やられたのは週刊新聞シャルリー・エブドとユダヤ系スーパー。無差別でないところに、強烈な犯意を感じた。

 同紙が預言者ムハンマドを特集した9年前、抗議のただ中で編集長は語った。「表現の自由は、一つ譲ればまた一つ後退する」。闘う姿勢とは裏腹にオフェスは開放的、記者や漫画家は同好会の空気をまとっていた。

 ほぼ無防備な編集会議への乱射と預言者の仇という大義。手間のわりには「手柄」が大きい。卑劣な所業だ。

 出会った追悼画の中に、9.11で消えた超高層ビルを二本の鉛筆に見立てた絵があった。テロリストにとって、ニューヨークのツインタワーは「富と搾取の象徴」、シャルリーは「不信心の化身」か。見せしめである。」と教えてくれる。

 つづけて筆者は、「あけすけな紙面はおよそ万人向けではない。実売3万部。一般紙を真ん中に置けばシャルリーは際物だ。それでも全仏で370万人が連帯しを示した。

 この国の風刺精神は18世紀の思想家ボルテールあたりから受け継がれてきた。パリ大行進のコースがまさに、ボルテール大通りだった。

 特別号は増刷を重ね700万部。主要紙でも数十万、記録は1970年11月、ドゴールの死を伝える夕刊紙の220万部というから、空前の発行数だ。もはや際物とは呼べない。

 その表紙で、反テロの合言葉「私はシャルリー」を掲げたムハンマドが泣いている。添えた言葉「すべてを大目にみよう」の主語はさだかでない。同紙にしては穏当な筆致だが、侮辱とみるムスリムは多い。穏当や調和を愛する日本人として、街で巨大広告に接する彼らが気の毒でならない。一方に、待てよと問い直す自分がいる。

 皆を笑顔にする風刺はない。小さな配慮が重なり禁忌の闇が広がる。宗教批判と信者への侮辱を分かつ一線は、ぎりぎり表現の自由に近いところで引くべきだと。仲間をテロに奪われた新聞社の一員として、見る聞く話すの自由はどこまでもこだわりたい。

 イスラムの教えは殺生とは無縁だ。信仰に名を借りた暴力は宗教をおとしめ、世界16億人のムスリムを差別にさらす。幾重も罰当たりである。」と指摘した。

 最後に筆者は、「世は不穏と緊張の中にある。米科学誌の名高い「終末時計」は22日、人類滅亡までの残り時間を5分から3分に縮めた。核拡散や温暖化を憂えた結果だが、息苦しさは日常にも迫る。

 移民規制を訴える仏の右翼政党、国民戦線への支持は3割に近い。テロ後にあった党幹部は得意げだった。「我々の警告が現実になった。急伸したオランド大統領への支持は、国民感情が収まった時にどこへ向かうのか。見ものだね」

 新たな「愛国票」は2年後の大統領選でいただく算段だろう。

 今日はギリシャの総選挙。緊縮に異を唱えて優勢な急進左派が勝てば、ユーロ危機が再燃しかねない。経済低迷と内向き志向の悪循環だ。

 秩序がとろけた中東では、イスラムを名乗る無法集団が乱行の限り。日本も巻き込まれた。武器が散らばり、捨て置かれた石油設備と共に過激派の活動を内外で支える。こちらは憎悪と暴力の連鎖である。どうやらグローバル時代には、安定頼混迷が、幸福より不幸が勢いよく広まるらしい。

 民主、自由、市場など、欧州生まれのルールが唯一絶対とは言わない。しかし地球を覆う難題に立ち向かうとき、これらに代わる知恵があろうか。

 思えば宗教も人類の知的遺産だ。安らぎをもたらすべき教えを破壊と抹殺の根拠にされては、どんな開祖もがっかりだろう。むろんムハンマドも。」と結んだ。

読んで勉強になった。

 「イスラムの教えは殺生とは無縁だ。信仰に名を借りた暴力は宗教をおとしめ、世界16億のムスリムを差別にさらす。」、

 「思えば宗教も人類の知的遺産だ。安らぎをもたらすべき教えを破壊と抹殺の根拠とされては、どんな開祖もがっかりだろう」、との指摘はそのとおりだと、日本人である自分には思えた。

 ただ、日本にもオーム真理教によるサリン事件があった。宗教・宗教団体による無差別大量殺人の裁判という「法と権力」による裁きは終わったが、「安らぎをもたらすべき教えと教祖」が破壊と殺戮を行ったのはなぜか?まだその源淵は明らかになっていないような気がする。

 過日エルサレムを独り歩きし、聖墳墓教会で真摯な祈りをし、嘆きの壁でも真摯な祈りをし、神殿の丘でも真摯な祈りをし、神殿の丘では「ムスリムですか?」と聞かれた。その時に、神に対する「真摯な祈り」には、大いなる意味があり、そこは共通してしてたと思った。


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by sasakitosio | 2015-01-27 07:00 | 東京新聞を読んで | Trackback