憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

「この道だけ」は干乾しへの道

 12月21日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」と言う欄がある。筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は「「この道しかない」。先週の総選挙に向けて。安倍首相が盛んにこういっていた。この言い方を聞いて、筆者はただちに「ティーナ」を思い出した。ティ‐ナはTINAと書く。例えばクリスティ-ナなどという女性の名前を愛称的に略すとティ‐ナとなる。だがこの場合のTINAには別の意味がある。それは、Tuere is no alternativeすなわち。「選択肢はほかにない」というわけだ。かって、ミセス・ティ‐ナと呼ばれた人がいる。その人は、かのマーガレット・サッチャー元英国首相だ。泣く子もだまる鉄の宰相である。まさしく「これしかない」とばかりに「サッチャリズム」を振りかざして国有企業と巨大労組をつぶしにかかった。

 異論に聞く耳を持たず、視野はどんどん狭窄化する。「この道しかない」を連呼する時の安倍首相の表情が、往年のミセス・ティ-ナの目の座り方に重なるなぁ。そう思っていたら、実はチーム・アベの中でも、ティ‐ナは意識されてきたらしい。ネットで見れば、竹中平蔵氏(政府の産業競争力会議メンバー、慶応大教授)が「アベノミクスはティーナである」と述べられている。」と教えてくれる。

 つづけて筆者は、「「この道しかない」。この思いつめた感じが、何とも危うい。政策とはそういうものか。本当にこれでいいのか。この道が通行止めになったらどうするのか。思い込みが激し過ぎると、政治家は、次第に自分が政策責任者であることを忘れる。自分の思いを遂げるために、政策があるような錯覚に陥る。これは危険だ。政策のために政治家がいる。政治家のために政策があるのではない。

 ここを見誤るようになると、政治家は必ず目つきがおかしくなる。ミセス・サッチャーがまさにそうだった。サッチャーンさんは、デビュー当初から確かに信念の人だった。だが、その信念の背後には、小さき者たちに代わっての怒りと危機感があった。

 大企業と大労組に挟まれて、全国津々浦々の中小零細商工業者たちが、どんどん肩身が狭くなっていく。この状況を何とかしたい。その思いに駆られていたころの彼女も概してミセス・ティーナ化しつつあった。だが、その眼は決然と澄んでいた。ところが、政権が長引く中で、ミセス・ティーナの目はだんだん奇妙な光を発するようになった。らんらんとしてきた。それなのに、どこか、どんよりしている。目の前の現実は見えていない。みえているのは、自分の妄念がつくりだした幻想ばかり。国民のために「この道しかない」のではない。自分がいっているから、「この道しかない」。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「ところで、ミセス・ティーナの命名者は保守党内の反サッチャー派の重鎮だった。彼らをサッチャーさんは「ウェッツ(WETS)」と呼んだ。ウェットなやつら、すなわち、すなわち軟弱者どもの意である。そういわれた彼らが、負けじとばかり、サッチャー派を「ドライズ(DRIES)と称した。あんなに身もふたもなくドライでは、みんな干上がる。そういうニュアンスだ。

 ちなみに、ウェットとドライには別の意味もある。酒が飲めるか、飲めないか。禁酒国のことを「あの国はドライだ」という。ドライと筆者は相性が悪い。」と締めくくった。

 読んで面白かった。記憶にある歴史上の人物「サッチャー」と安倍首相を比較した辺りは、筆者の広い教養を感じた。

 中でも、筆者の「思い込みが激しすぎると、政治家は、次第に自分が政策責任者であることを忘れる。」のくだり、「・・だが、その眼は決然と澄んでいた。ところが、政権が長引く中で、ミセス・ティーナの目はだんだん奇妙な光を発するようになった。らんらんとしてきた。それなのにどんよりしている。」のくだりは、これからの安倍首相・政権のウオッチャーとしては、大切な目の付け所になりそうだ?

 


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by sasakitosio | 2014-12-23 06:21 | 東京新聞を読んで | Trackback