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by sasakitosio

この道しかない

12月19日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「これから書くのは、現在の日本の出来事ではない。筆者が、外務省の研修生としてモスクワで生活し始めた1988年秋のことだ。

 ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が権力の座について、約三年が経っていた。ペレストロイカ(改革)について、「どうもこのままではソ連経済は向上しないのではないか」という国民の不安が生じ始めていた。

 その時ソ連共産党は「この道しかない(イノーヴォ・ニ・ダノー)というスローガンを掲げた。テレビ、ラジオは「改革のためには、この道しかない」とがなり立てていた。

 ソ連共産党中央委員会機関紙「プラウダ」も連日「この道しかない」というキャンペーンを展開した。また、ゴルバチョフ政権を支持する有識者たちが「この道しかない」という論文集を出し、この本が町中にあふれた。」と教えてくれる。

さらに筆者は、「今になって振り返ると、このあたりからソ連のペレストロイカ路線はおかしくなってきた。なぜなら、複数の考え方、複数の選択を認め、社会を活性化していこうとすることでソ連社会を活性化させるという発想とソ連共産党が「この道しかない」という路線を国民におしつけることが矛盾していたからだ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「そして「この道しかない」というスローガンが掲げられてから三年後の1991年12月にソ連国家は崩壊した。」と締めくくった。

 読んで、改めてソ連崩壊の映像を思い出した。1985年のソ連国家崩壊前に、社会主義・アジア人・仏教の北限の三つのテーマで、ブリアート自治共和国の首都ウランウデ、イルクーツク、ハバロフスクをたずね、抑留者の墓参もしてきた。

また、ソ連国家崩壊後、ソ連の経済危機のときモスクワ一人旅をしてきた。ソ連国家崩壊がさして混乱もなくなされ、ロシアが誕生したことに驚いた。帰国後に、モスクワで爆破事件があった。

 筆者の「「この道しかない」というスローガンが掲げられてから3年後にソ連国家は崩壊した」との指摘は、考える刺激になった。「この道しかない」という「この道が」が、質的に高度で、懐的に広く深く、歴史的に先見性がある場合は長持ちするが、為政者の自己保身に基づく能力の限界から出たものであれば長持ちするはずがないのではないかと思った。

 はてさて、日本における「この道しかない」は、何れの道であったか?


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by sasakitosio | 2014-12-20 07:04 | 東京新聞を読んで | Trackback