憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

緩慢な暴力

 11月27日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。

 今日はこのコラムに学ぶことにした。

 まず筆者は、「半世紀前に出版されたレイチェル・カーソン著「沈黙の春」は環境保護運動の出発点になった作品だ。合成殺虫剤の大量使用による1950年代の米国の生態学的荒廃に切り込み、食物連鎖や生物濃縮の具体例で訴えかけるスタイルは多くの人の心を捉えて、殺虫剤DDTの禁止政策に結実した(最近のDDT再評価は途上国のマラリア対策の窮余の手段、悲劇的選択として理解すべきものだ)。」と切り出した

 つづけて筆者は、「日本では福島原発事故を契機に、化学物質や低線量内部被ばく等の許容値を決め、それ以下は甘受すべきリスクとする見方が主張されているが、盲点が二つある。

 一つは水俣病や原発立地から分かるように、環境汚染の被害や危険が特定の集団や地域に偏る傾向だ。R・ニクソンの近著「緩慢な暴力と貧者の環境主義」(未訳)は、ボパールの産業災害やニジェールデルタの石油採掘、米軍の劣化ウラン弾の例を引いて、環境汚染が後々まで世界の周辺の人びとを苦しめていることを指摘する。

 リスク論の第二の盲点。リスクには確立を定義できる場合とそうでない場合(不確実性)があり、事態そのものが不可知の場合ある。「沈黙の春」は自然への崇敬の念に基づき、不確実性と不可知性を逆手にとって現代ならば予防原則と呼ぶべき立場から傲慢な自然支配の危うさを告発したのだ。」と教えてくれた。

改めて、「食物連鎖や生物濃縮」という言葉と、農薬や工場廃液による環境破壊、健康被害を思い出した。若いころの高度成長期は、同時に環境破壊の時期でもあった。

 確かに、「日本では、福島原発を契機に、化学物質や低線量内部被ばく等の許容値を決め、それ以下は甘受すべきリスクとする見方が主張されている」が、しかし「環境汚染の被害や危険が特定の集団や地域に偏る傾向」とか、「リスクには確立を定義できる場合とそうでない場合(不確実性)があり、事態そのものが不可知の場合もある」とか、問題点があるとの筆者の指摘は、良く理解出来た。

 お蔭さまで、為政者のいう「許容値」をそのまま鵜呑みにしていて「安楽死」への道に進む前に、立ち止まって自分の頭で考えることが出来そうだ。


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by sasakitosio | 2014-11-29 14:27 | 東京新聞を読んで | Trackback