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by sasakitosio

「先進国」型の生き方模索

 11月9日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。筆者は立教大学大学院教授で哲学者・内山節氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「江戸時代後半の日本は「先進国」であった。なぜかといえば、この社会には発展をめざす目標がなかったからである。もちろん何の目標もなかったわけではない。

 人々は仕事や生活のなかで自分の技を深めることを競っていた。それが優れた工芸品や建築技術、料理や服飾文化、芸能、商人道、農民の技などを生んでいった。

 ところが明治時代に入ると、日本は一転して「途上国」になる。

 欧米に追いつこうとしはじめたのである。欧米に追いつこうとする限り、欧米が「先進国」であり、日本はそこをめざす「途上国」だということになる。

 そういう百年余りの歴史をへて、今日の日本では、依然として「途上国」的発想をもつ人たちと、「先進国」的な精神を持つ人々の分裂が起きている。

 政治や経済に関わる多くの人たちは、「途上国」的な考え方をつづけている。だから経済は成長しなければいけないし、強い国家を建設して日本は「列強」の一員でなければならないのである。明治以降の日本が身に着けた行動原理が、そのまま受け継がれている。」と切り出した。

 つづけて筆者は、「ところがバブル崩壊以降の20年くらいの間に、新しい発想を持つ人々が生まれてきた。

 追いつこうとする目標を持たない人々の誕生である。たとえば生活の中でも、かって私たちは早く家を購入し、早く車を所有し、早く家財道具をそろえようとしてきた。追い付こうとする生活の目標があったのである。企業の中でも、早く管理職になろうというような目標があった。だがいまでは、そうゆうものに関心をもたない人たちが増えている。

 そんなことより、仲間をつくって生活の質を高め、この社会に役立つ仕事をしようとする人たちがすこしづつ多くなってきた。経済目標をめざしてしゃにむに走り続ける「途上国」型の生き方から、社会や暮らし、仕事の質を高め行こうとする「先進国」型の生き方を模索する人々が、増加してきた。

 今日の日本には、「途上国」型、「先進国」型の二つの動きが併存しているのである。そして、だからこそ統計に表れてくるような消費も伸びない。引っ越す時でも運送業者を頼めば経済統計に反映されるが、仲間たちのてで引っ越しが行われれば、統計から除外される。最近では家庭菜園だけではなく、仲間と共同農園をつくる人たちも多くなってきたが、こういう活動も経済統計には反映されない。旅行のときも仲間と一緒にキャンプをする若者がふえているけれど、これもまた旅館に泊まるのと比べれば統計的な経済効果はわずかである。

 お金の量が豊かさだと感じていない人たちが、いまでは明らかにふえてきているのである。だから、お金がないからではなく、新しい暮らし方をめざして、シェアハウスに住む若者も多くなってきた。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「生産と消費を増やし、強い国家を形成しようとして、日本は原発をつくり、環境の破壊、つながりや連帯感のない社会をつくってきた。だが現在では、原発被災者に寄り添うまなざしや、自然と共に着る社会、助けたり助けられたりするコミュニティ―の方が大事だと感じる時代に向かい始めている。とすると、ようやく日本独自の「先進国」型社会デザインが芽生えはじめたのかもしれない」と締めくくった。

 読んで、すっきりした。

 「経済目標を目指してしゃにむに走り続ける「途上国」型の生き方から、社会や暮らし、仕事の質を深めていこうとする「先進国」型の生き方を模索する人々が増加してきた」、「お金の量が豊かさだと感じていない人たちが、いまでは明らかにふえてきているのである」との筆者の指摘は、自分的には納得できた。

 そして、「生産と消費をふやし、強い国家を形成しようとして、日本は原発をつくり、環境の破壊、つながりや連帯感のない社会をつくってきた」との指摘も当たっていると思った。

 ただ、そもそも「強い国家」とは何か?それは「誰」にとってか?それは「何の」ためか?「つながりや連帯感」の 満ち満ちている社会が、被支配階層の国民にとって、豊かで安全な環境のような気がする。その意味では、過去も今も語られ、目指されている「強い国家・強い日本」は、支配階層にとっての「強い日本・国家」であるような気がしてならない。


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by sasakitosio | 2014-11-16 07:47 | 東京新聞を読んで | Trackback