憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

成長の損益分岐点

 10月12日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という書名入りの囲み記事がある。筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 まず筆者は、「「世界は、いまや、ニュー・メディオーカー(new mediocre)に転落しつつある」。
 国際通貨基金(IMF)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事が、そういった。IMF・世銀総会の開幕を控えてのことだ。
 「メディオーカー」という英語のニュアンスを日本語で表現するのは、なかなか難しい。「低級」とか、「凡庸」という感じだ。あるいは「ぱっとしない」と言うのが、この場合一番良く当てはまるかもしれない。このままだとグローバル経済は新たなぱっとしない時代に突入してしまう。ぱっとしない状態が、常態化してしまう。それが、ラガルド氏の心配事だ。
 どうパットしないのか。要するに、経済成長率が低迷し、至って冴えない経済状況がグローバルに広がってしまうことだ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「これまで、成長の担い手だった新興諸国の経済が、総じて息切れしそうになっている。すると、彼らの勢いの影に隠れていた先進経済の「不冴え振り」(冴えない状況)が、前面に出てきてしまう。
 アメリカが比較的元気である。金融緩和に終止符を打つかというところまで、経済実態が回復して来ている。だが、そのアメリカでも、人々の賃金が上がらず、所得が伸いない。それが悩みの種だ。欧州は再びデフレのふちに沈みつつある。日本も、アベノミクス騒ぎをよそに、景気失速模様が濃厚になっている。
 「新ぱっとしない時代」への突入を回避すべく、国々は成長戦略を打ち出すべし。政府も民間も、もっと投資すべし。生産性を上げるべし。構造改革を断行すべし、ラガルドはそういう。実にお定まりの提言だ。」と指摘した。
 さらに筆者は「ラガルドは、あえて「あたらしい」ぱっとしない時代という言い方をしている。つまり、この状態は、従来型の経済低迷とは肌合いが違うと感じているわけである。それなら、この新事態にたいして、従来型でお定まりな対処法で臨めと言うのはいおかしい。新しい酒には、たとえそれがどんなにぱっとしない酒でも、やっぱり新しい革袋を用意しなければならない。そういうものだろう。
 筆者には、どうも、実は国々の成長志向が新ぱっとしない時代入りの真犯人であるように見える。
 成長ばかり追い求めるから、成長できない。そういうことなのではないか。その意味で、いまや、成長の損益分岐点を見極めるべき時が来ている。そのように思うのである。」と指摘した。
 さらに筆者は、「厳しいグローバル競争の下で、国々の企業と政府がひたすら成長を追い求めると、どうなるか。彼らは、即戦力化を期待できる人材を囲い込む。多少とも、足手まといになりそうな人々は切り捨てる。ぎりぎりまで抑え込んだ賃金で、人々がこきつかわれる状況が現出する。
 できる人材は、過労死の危機にさらされる。出来ないとみなされる人々は、切り捨てか使い捨て、いずれかの憂き目に遭う。
 人々がこのような仕打ちを受けている状況での中で、経済活動がパットするわけがない。経済活動は人間の営みだ。多くの人々の生活が脅かされている中で、経済活動が生き生きと盛り上がるはずがない。」と指摘した。
 最後に筆者は、「育ちざかりの経済には、成長することが必要だ。だが、育ちあがった経済がなお成長を追求すると、それはもはや損益分岐点を割り込んでしまった世界への突入を意味する。「新たなぱっとしない時代」の影は、そのことを我々に警告しているのではないのか。」と締めくくった。
 読んで刺激を受けた。
 筆者の「厳しいグローバル競争下で、国々の企業と政府がひたすら成長を追い求めるとどうなるか。
 彼らは、即戦力を期待できる人材を囲い込む。
 多少とも、足手まといになりそうな人々は切り捨てる。
 ぎりぎりまで抑え込んだ賃金で、人々がこき使われる状況が現出する。
 できる人材は、過労死の危機にさらされる。
 できないとみなされる人々は切り捨てか使い捨て、いずれかの憂き目に遭う。」との指摘は、現実の社会そのものだ。
また、「経済活動は人間の営みだ。多くの人々の生活が脅かされている中で、経済活動が生き生きと盛り上がるはずがない」との筆者の指摘は、まったくその通りだと思った。
そのことから考えると、圧倒的多数の被支配者階層の、生活が豊かさのうえにこそ、支配階層の豊かさがあるような気がした。
[PR]
トラックバックURL : http://sasakitosi.exblog.jp/tb/21215850
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by sasakitosio | 2014-10-17 07:58 | 東京新聞を読んで | Trackback