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by sasakitosio

信仰、戦争の標的に 倉本總さん父、投稿で摘発

 9月15日付東京新聞1面トップに、「倉本聰さん父 投稿で摘発」「信仰、戦争の標的に」「表現の自由に危機感」という見出しで、戦前・戦中の「宗教団体」の様子が載った。
 記者は大平樹氏だ。 今日はこの記事に学ぶことにした。
 記事は、「ちょうど70年前の1944年9月、神道、仏教、キリスト教の宗教者が団結して戦争に協力する「大日本戦時宗教報告会」が設立された。天皇以外の神を信じたり、平和を求めたりしたことで、治安維持法による摘発の標的となった宗教界。戦局が悪化する中、国の締め付けは厳しくなっていった。信仰と、戦争という現実に引き裂かれる苦悩を、脚本家の倉本聰さん(79)=北海道富良野市=の父で俳人の故山谷太郎さんも味わっていた。」と切り出した。
 つづけて記事は、「クリスチャンの山谷さんは42年1月、信濃町協会(東京都新宿区)の月報に「決戦下に於ける伝道」と題した一文を投稿した。
 「戦争は罪悪である」と言うくだりが問題となり、当時の牧師の故・福田正俊さんは四谷署で特別高等警察(特高)から事情を聞かれた。「一般論だと言い訳して難を逃れたそうです」。
 福田さんの三男、啓三さん(75)=世田谷区=は話す。
 山谷さんの次男の倉本さんは、投稿の件を今回の取材の申し込みで初めて知ったという。きょうだいたちに電話で聞いてみたところ、一人の妹だけが亡くなった母から聞いていた。「豚箱い入ったのよ。誰にも言ってはいけない」と口止めされていた。
 摘発されたのは倉本さんが山形県に疎開した44年8月以降とみられる。国が大日本戦時宗教報告会を通じ宗教への圧力をより強めた時期とも重なる。
 倉本さんは投稿文を「理解に苦しむくらい回りくどい」と苦笑する。文中で世界平和を願う一方、戦死を恐れることを「か細い感傷」と批判する。当時のもの言えぬ空気が行間からにじんだ。」と教えてくれる。
 さらに記事は、「戦後、山谷さんは日本野鳥の会の再結成に尽力し52年に亡くなった。倉本さんは、戦後信仰から遠ざかったものの、正義感は父から受け継いだとの自負がある。代表作のドラマ「北の国から」では、主人公が食事前に神に祈る。父が戦時中も祈りを欠かさなかったからだ。倉本さんも、スポンサーに表現を制限されて苦々しく感じたこともあった。「信仰を抑制されることがどれほど嫌なことだったか」
 自由な表現が再び制限されかねない特定秘密保護法が成立し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がされたことに危機感を覚える。」と、教えてくれる。
 最後に記事は、「言論統制を受けた父の世代はほとんどなくなり、空襲を経験した自分たちの世代も減りつつある。
 「血のにおい、硝煙のにおいを、少なくとも私はかいだ。今の政治家は戦争を知らなすぎる」」と結んだ。
 よんで勉強になった。
 1944年9月に、神道、仏教、キリスト教の宗教者が団結して戦争に協力する「大日本戦時宗教報国会」が設立された」こと。
 倉本壮さんは「血のにおい、硝煙のにおいを、少なくとも私はかいだ。今の政治家は戦争を知らなすぎる」と言っていること。等を初めて知った。
 また、この記事を読んだことで、戦争になれば、信仰の自由も奪われる「人権」の例外ではありえないことが改めて分かった。戦争反対を言い続けて、弾圧された「宗教家」もいたとも聴くが、多くの宗教家は、信仰の組織を守るため、苦しみながら戦争に協力する道を選んだのが「大日本戦時宗教報国会」の設立へとすすんだ理由らしい。
 戦争が始まっては、すべてが手遅れであることが、改めて分かった。
 起てよ、真の宗教家!!信仰を守るために、立ち上がろう!!
 弱い人間の一人として、戦争の芽でもある「特定秘密保護法」の廃止、戦争の入り口である「集団的自衛権の行使」反対を叫び続けたい。そして、今の内閣を倒さない限り、戦争への道は続くとの思いがますます強くなってきた。
 
by sasakitosio | 2014-09-18 18:23 | 東京新聞を読んで | Trackback