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by sasakitosio

経済的格差と民主制

 8月10日(日)、東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という署名入りのかこみ記事がある。筆者は東大名誉教授・佐々木毅氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「資本主義経済と民主政の関係を見ると、国によって多少の時間差はあるが、この30年余りの間に大きく変わった。
 1970年代までは民主政は経済的格差の阻止に力点を置いてきたが、その後は、格差拡大と共存する民主政に代わった。
 日本の場合、かなり後にづれたが、同じ動向が見られることは否定しがたい。かって格差縮小の先導役だった欧州も、創造絶するような変化が起きている。
 今年前半、ピケティというフランスの経済学者の書いた「21世紀の資本論」という本が欧米で話題になった。過去三世紀に及ぶデータを駆使して資本主義経済に潜む経済的格差拡大への傾向をえぐり出すとともに、それがわれわれにとって何を意味するかを検討した著作である。
 資本主義の歴史分析であるとともに、この仕組みの公正さへの問いかけが全体を貫いている。
 彼によれば、長期的なデータは、労働による経済成長率よりも資産の自己増殖(資本収益率)の方がはるかに高く、資産を持つ富裕層はその活用によってますます富む一方、労働によって生活する人の富の増加は微々たるものであるという。したがって、富裕層とそうでない人の格差は拡大する傾向が見て取れるという。
 この法則は、必ずしも現実の歴史そのものではない。
産業革命から第一次世界大戦前の欧州では、富の多くが富者の手に集中する傾向が着実に進んだが、第一次大戦後から20世紀中葉にかけては傾向が逆転する。
 戦争や大恐慌により資本が破壊されたこと、政府が所得税や相続税などの増税に訴えるようになったこと、公共サービスの提供によって格差が縮小したことなどがこの時期に起こった。
 しかし、80年ごろから規制緩和や民営化、累進課税の見直しなどの政策が登場する中で、資本収益率が経済成長率を凌駕するメカニズムが復活し、格差拡大が再び作動し始めた。
 経済の低成長と資産の金融化の下で資本収益率と経済成長率とのかくさは広がることを念頭に置くならば、相続によって得られた富が富全体に占める割合がますます高まり、過去が未来を支配する傾向がある。
 誰の相続人であるかという偶然に比べ、個人の努力や能力の意味がなくなっていく。
 ピケティはそうした状態が公正なのかと疑問を呈し、資産へのグローバルな規模での課税などを提言する。
 彼によれば、保護主義やナショナリズムなどの台頭と比べれば、こうした課税は合理的な選択である。」と教えてくれる
 つづけて筆者は、「ピケティの議論は民主政の在り方も問いかけている。21世紀の民主政は格差拡大の傾向を根深くはらむ経済体制とどこまで両立しうるかと言うことである。
 彼の処方箋は20世紀中葉の民主制の議論から出てくる結論である。
 また、アリストテレス以来、民主政と平等への志向を切りはなし続けることに無理がある。
 ピケティは第一次大戦が、経済的格差が恐るべき水準に達したなかで起こったと指摘している。
 そして格差拡大に歯止めを掛けるきっかけとなったのは戦争と革命、さらに大恐慌に代表される資本の大量破壊であり、その後の民主政はその傾向を政策化し、定着させたという。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「20世紀にならって格差阻止のために戦争を企てる人がいるかどうかはしらないが、自由で平等なはずの社会が徐々に身分制社会のようになるというピケティの見通しもまた深刻である。」と結んだ。
 よんで、人間とは何か?人間社会とはなにか?を考えるうえで刺激的なことがいくつかあった。ネットで調べたら、「21世紀の資本論」の日本語版が今年の12月に発売予定とのことなので、それをぜひ読んでみたいと思った。
 筆者に教わったことは、
 ①ピケティの「21世紀の資本論」は過去三世紀に及ぶデータを駆使して資本主義経済に潜む経済格差への傾向をえぐりだすとともに、それがわれわれにとって何を意味し処方箋は何かを検討した著作である」とのこと、
 ②「資本主義の歴史の分析であるとともに、この仕組みの公正さへの問いかけが全体を貫いている」とのこと、
 ③「過去が将来を支配する傾向が強まる。誰の相続人であるかという偶然に比べ、個人の努力や能力の意味がなくなっていく。ピケティはそうした状態が公正なのかと疑問を呈し、資産へのグローバルな規模での課税を提言する」とのこと、
 ④「ピケティは第一次世界大戦が、経済的格差が恐るべき水準に達した中で起こったと指摘している。
 そして、格差拡大に歯止めをかけるきっかけとなったのは戦争と革命、さらに大恐慌に代表される資本の大量破壊であり、その後の、民主政はその傾向を政策化し定着させた」とのこと、
 ⑤「自由で平等なはずの社会が徐々に身分制社会のようになるというピケティの見通し」とのこと、等である。
 考えたことは、
 ①平等志向の人間個々、塊としての人間、のエネルギーが、人間の作った制度・組織によって「拡大増殖する経済格差」を、是正するために既存の「資産・制度・組織」を破壊しはじめる「兆候」を、数値的に表せないものか?
 ②また、そもそも人間は誰しも、生まれたときは裸で、何も持っていない。死ぬときも一人で、何も持たないで地球に帰る。ならば、生きていながら「得た」とされるものは、すべて、社会の「制度や仕組」のおかげで得たものを「自分の物」と思い込んでいるだけではないか?
 ③社会の発展・進歩のためには、あらゆる人間の「能力」の解放を妨げるものは、極力排除するのが、人類発展の不可欠の条件ではないか?経済格差によって、差別された「人間」の能力解放が妨げられるている現状は、解消するのが人類の道ではないか?
 ④自由で平等なはずの社会が徐々に身分制社会のようになるというピケティの指摘は、非正規雇用の増大・継続が進む「日本社会の将来」を予測しているようで、怖いはなしではないか?
 等等、疑問が湧いてきた。
 
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by sasakitosio | 2014-08-12 07:34 | 東京新聞を読んで | Trackback