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by sasakitosio

真珠湾に広島の祈り

 8月5日付東京新聞朝刊一面に、「原爆投下 69年後の米国」と言う記事が載った。筆者は、アメリカ総局・竹内洋一氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 記事は、「米ハワイの真珠湾は日本人にとって今も居心地の悪い場所だ。旧日本軍に撃沈された戦艦アリゾナが米兵千人以上の遺骨とともに眠っている。沈んだ船の上の海面に浮かぶように立つアリゾナ記念館を沖に望むビジターセンターは、真珠湾攻撃に関する国立展示館だ。
 その一角に小さな、しかし大きな変化が起きた。
 広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルで、原爆症のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんが病床で折った千羽鶴のうち、家族のもとに残っていた一羽が昨年9月から常設展示されている。粉薬の包み紙で折った鶴は1センチ、原爆の悲惨さ、核廃絶の祈りを表す鶴が日米開戦の地に届くまでには、米側の関係者の尽力があった。」と切り出した。
 つづけて記事は、「禎子さんの遺族から寄贈の申し出があった2010年当時、アリゾナ記念館は日米の戦闘に焦点を当てた展示を、開戦に至る双方の背景を解説する内容に見直す作業を進めていた。記念館のポール・デプレー艦長(48)は「折り鶴は太平洋戦争、続く日本占領を理解する一助になる。平和と和解を表現する新しい展示全体にも合う」と判断した。
 した。展示ケースを窒素で満たし、折り鶴の劣化を防ぐ設備の導入に6万5千ドルが必要だった。デプレー館長の依頼を受けた地元の日系人が中心となり、寄付で費用を賄った。
 オバマ大統領が卒業した幼少中高一貫校プナホウ学園の日本語教師ピーターひろみさん(65)も資金集めに奔走した一人だ。 広島出身の被曝二世。同僚と一緒に出版した日本語教科書には自分の家族の被爆体験もつづった。この教科書を使った授業で高校生と原爆について語り合い、一緒に募金活動をすることになった。こうして展示された折り鶴の脇には生徒が折った千羽鶴が飾られて得いる。生徒は入場者に禎子さんの物語を紹介し、鶴の折り方を教えるボランティア活動もしている。
 ピーターソンさんは「これまで「ノーモア・ヒロシマ」と「リメンバー・パールハーバー」は相いれなかった。展示は勇気のいることだったと思う。」とアリゾナ記念館を称賛する。
 「戦争を忘れてはならないが、恨みを残すのではなく、一緒に平和を祈ることが大事だ。それがこの折り鶴のメッセージだ」と話した。」と教えてくれる。
 さらに記事は、「デプレー館長は「折り鶴の展示に入場者から反発はない。むしろ前向きな意見を聞いている。」と明かす。
 ハワイでは米作家エレノア・コアさんの児童書「禎子と千羽鶴」が小学校5年生の教材になっている。デプレー館長は「地元小学生が実際の鶴の小ささを体験できる。と意義を強調する。
 展示が実現した舞台裏には、この本と偶然出会った男性の後押しもあった。広島・長崎への原爆投下を決断した故トルーマン大統領の孫、クリフトン・ダニエルさん(57)だ。
 祖父の「遺産」と向き合った葛藤の果てだった。」と教えてくれる。
 最後に記事は、「広島・長崎への原爆投下から69年。戦争を早く終えるために原爆投下は必要だったと正当化する意見が根強い米国で、歴史観の溝を越え日米の相互理解や和解に取り組む人たちをたづねた。」と取材の目的を教えてくれた。
 読んで大変勉強になった、知識が増えたし、いくつか教訓を得たような気がする。
 まず、
 ①「アリゾナ記念館に、広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルで、原爆症のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんが病床で折った千羽鶴のうち、家族の元に残っていた一羽が昨年9月から常設展示されている」とのこと、
 ②「記念館のポール・デプレー館長(48)は「折り鶴は太平洋戦争、続く日本占領を理解する一助になる。平和と和解を表現する新しい展示全体に合う」と判断したとのこと、
 ③「展示ケースを窒素で満たし、折り鶴の劣化を防ぐ設備の導入に6万5千ドル(約650万円)が必要だった。デブレー館長の依頼を受けた地元の日系人が中心となり、寄付で費用を賄った」とのこと、
 ④オバマ大統領が卒業した幼小中高一貫校プナホウ学園の日本語教師ピーターソンひろみさん(65)も資金集めに奔走した。広島出身の被曝二世。」とのこと、
 ⑤「ピーターソンさんは「これまで<ノーモア・ヒロシマ>と<リメンバー・パールハーバー>は相いれなかった。展示は勇気のいることだったと思う」とアリゾナ記念館を称賛する。」とのこと、
 ⑥「ハワイでは米作家エレノア・コアさんの児童書「サダコと千羽鶴」が小学5年生の教材になっている」とのこと。
 ⑦「展示が実現した舞台裏には、この本と偶然出会った男性の後押しもあった。広島・長崎への原爆投下を決断した故トルーマン大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさん(57)だ。祖父の「遺産」と向き合った葛藤の果てだった」とのこと、等は知って感動ものだった。
 調べて分かったことは、佐々木禎子さんは、1943年1月7日にうまれ、1955年10月25日に亡くなったこと。きしくも、自分と同じ年の生まれだった、ことを発見。これも驚きだった。
 ピーターソンさんは「戦争は忘れてはならないが、恨みを残すのではなく、一緒に平和を祈ることが大事だ」と言っている。その通りだと思った。
 そこで改めて、<ノーモア・ヒロシマ>には加害者への「非難や恨み」が微塵もない無い、<リメンバー・パールハーバー>は加害者への「非難や恨み」が満ち満ちている。
 だから、この二つのメッセージは、同量に、同質に、比較してはいけないもののような気がした。
 9.11以後、アメリカが圧倒的兵力と財力をもってしてもイラク戦争から撤退せざるを得ず、破壊後のイラクは再建どころか、いまだ破壊と混乱のまっ最中だ。<リメンバー・パールハーバー>の精神は、「避難と恨み」パワーは、アメリカに平和と勝利をもたらしていないような気がしてならない。
 アリゾナ博物館の「禎子の折り鶴の常設展示」のニュースから、<ノーモア・ヒロシマ>の日本の精神文化が、アメリカ人に理解されたと思いたい。
 また、被害者が、加害者を許したときに、加害者の中に「人間性」が自然に芽生えるような気がしてきた。
 
by sasakitosio | 2014-08-09 07:25 | 東京新聞を読んで | Trackback