村に吹け、新生の風よ
2014年 08月 04日
社説は、「あるのは原野だけだった。海からヤマセ(東風)が吹きすさぶ。農業には向いてない。戦後、中国東北部から再入植した開拓民の労苦はしのぶよしもない。
そんな本州の最果てに1960年代末、巨大開発計画が持ち上がる。高度経済成長の真っ最中、むつ小河原開発は国策だった。
太平洋ベルト地帯に集中し過ぎた重化学工業を分散させるため、青森県六ヶ所村を中心に、日本最大のコンビナートを造るという。開発か、農業・漁業か。地域は割れた。
政府と県の強い働きかけを受けて、村は結局、計画を受け売れた。
ところが、71年のニクソンショック、続く石油ショックが高度成長の流れを止めた。企業は来ない。代わりに持ち上がったのが、核燃料サイクル施設の建設だった。」と切り出した。
つづけて社説は、「政府と県は、過疎地に再び国策を押し付けるるようにして、頓挫した巨大開発計画のつけを回してきた。推進と反対に二分され、前にもまして六ヶ所村は傷ついた。
莫大な核燃マネーが流れ込み、見た目は豊かになった。
しかし、「進むも地獄、戻るも地獄」と元村議は目を伏せる。
新たな国策が、またも激しく揺れている。
福井県敦賀市の高速増殖原型炉「もんじゅ」は使用済み核燃料から抽出したプルトニウムを燃やして増やす、核燃サイクルの要である。それが長年トラブル続きで、実用化には程遠い。
政府は半減期の短い、別の核物質に転換するための高速炉に改造するという。そうなれば、プルトニウムを取り出す再処理工場の役目は終わり、核のゴミだけが残される。個々の施設はしばらく残る。だが核燃料サイクルの輪は既に寸断されている。」と教えてくれる。
最後に社説は、「強いヤマセが吹く青森県は、風力による発電能力が日本一、原発0.3基分になる。
たとえば大間原発の電力を全国に送り出すために建設中の送電網(大間幹線)などを拡充し、再生エネルギーの一大拠点に再び生まれ変われないか。雇用の維持も可能だろう。
六ヶ所村は政治次第で生まれ変わることもできる。ただし、原発に頼らない国ならば。」と締めくくった。
読んで六ヶ所村の歴史を少し理解できた。
①「戦後、中国東北部から再入植した開拓民の労苦」があったとのこと。
②「1960年代末、巨大開発計画が持ち上がる。高度経済成長の真っ最中、むつ小川原開発は国策だった」ととのこと。
③「政府と県の強い働き掛けを受けて、村は結局、計画を受け入れた。ところが、71年ニクソンショック、続く石油ショックが高度成長の流れを止めた。企業は来ない。代わりに持ち上がったのが、核燃料サイクル施設の建設だった。
④「新たな国策が、またも激しく揺れている。
福井県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」は、使用済み核燃料から抽出したプルトニウムを燃やして増やす、核燃料サイクルの要である。それが長年トラブル続きで、実用化にほど遠い。政府は半減期の短い、別の核物質に転換するための高速炉に改造するという。そうなれば、プルトニウムを取り出す再処理工場の役目は終わり、核のごみだけが残される。」
六ヶ所村の歴史を社説の整理に従って、たどってみて、思った。
これは酷すぎる。国策に何度も翻弄された六ヶ所村の人びとに、政府は、為政者は、責任を取らなければならないと思った。
そして、その今日的な取り方は、社説の「六ケ所村は政治次第で生まれまわることもできる。ただし、原発に頼らない国ならば。」の指摘を深く・重く受け止め、「原発に頼らない国」に向けて一日も早く、舵を切ることではないか?