憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

政権に関与してこそ護憲派

 7月31日付朝日新聞朝刊15面に、「あすを探る―政治」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、東京大学准教授で政治過程論・菅原琢氏だ。今日は、この記事に学ぶことにした。 
 筆者は、「集団的自衛権に関しては、朝日新聞をはじめ各紙とも有識者の意見を並べ、読者に参考資料を提供してきた。その主張の仕方は多様で、そういう論理もあるのかと感心することも多い。
 今の日本国憲法は、数ある法律に比べると平易な言葉で書かれているが、その分、その意味は明確でないことがある。
 むしろ、これは解釈の余地を設けているものである。集団的自衛権に関しても、さまざまな立場の法律家が、この解釈の幅をめぐり論陣をはってきた。
 ただし、法律家の主張や議論は、実際に適用される解釈とは異なることがあると法学部で教わる。憲法の教科書を読めば、多くの学者間で正しい解釈だとされる通説とは別に、裁判所が示す判例の説が存在するし、両社がしばしば異なり、対立することを知る。
 主に最高裁が示した法律解釈が、司法や政治・行政の場で意味をもつのである。」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「その最高裁は、ときに疑問を抱かせる判断を行う。たとえば一票の格差に関する訴訟では、かって合憲とされる場合が多く、選挙の無効が判示されたこはない。農村部が人口に比してかなり多くの代表を送ることを肯定することは、自民党を利するものと非難された。
 もっとも、最高裁がこのような判断をするのは、制度を見れば別に不思議はない。最高裁の裁判官は内閣が決定する者であり、言うまでもなく長年この立場にあったのが自民党である。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「それでは、今回の解釈変更についてはどうだろうか。6月7日付の本紙朝刊で憲法学者の木村草太氏は、解釈変更に「訴訟リスクが待ち受ける」と指摘した。報道によれば、すでに訴訟の準備をしている団体があるとされる。安倍政権下で任命された裁判官・山本庸光判事は、今回の解釈変更に疑義を呈していた。
 そして15人の裁判官のうち9人が民主党政権時代に任命されている。
 もちろん各裁判官がどのように判断するかは不明である。仮に全員が現行条文での集団的自衛権の行使を認めない立場なら、解釈を確定させるために8人の裁判官を交代させる必要がある。2017年3月までに8人が定年の70歳を迎え内閣は後任を送ることになる。自民党はあと一回の衆院選に勝利すれば、今回の決定に対する司法のお墨付きを確実にすることが可能になる。
 このように述べると、これを政権党の横暴と捉える人も多いだろう。
 しかし、これらはまさに憲法に規定された民主的手続きの帰結である。選挙で勝利して形成された政権は時代の変化や自身の好みに応じて条文の解釈を変更できる。安倍自民党はすでに集団的自衛権についてマニフェストや政策集に記載して国政選挙を勝利し、公明党との協議を経て、閣議決定を行った。あとは好ましい裁判官を任命し続けながら、次の選挙も勝てばよいというわけである。
 以上は、憲法が学説や権威によってではなく、民主主義により守られ、作られていることを意味する。
 したがって、集団的自衛権の行使を認める解釈変更を覆したいならば、選挙で支持を得て政権に入る必要がある。さらに最高裁に同調者を送り込めば確実である。それができないとすれば、その勢力に根本的に支持がないか、戦略が誤っているかである。」と指摘した。
最後に筆者は、「選挙制度が少数派に著しく不利であるのは言い訳にしかならない。少数派なりの戦略で政権に与し、徐々に変えていけなよい。憲法が規定する民主的手続きの多くは内閣を主語とし、護憲改憲のみならず、何事を実現するにも政権に与していくことを要求している。
 妥協を嫌い政権から逃げていては、護憲も何も絵に描いた餅でしかない。票と議席を得ておいて、支持者に利益を還元しないのは、憲政の邪道なのである。」と締めくくった。
 よんで、確かにこんな考え方もあるのかと感心した。理解はできたが、なぜかストンと腹の底に落ちないものがあった。
 筆者の教えてくれる、
 「主に最高裁が示した法律の解釈が、司法や政治・行政の場で意味を持つのである。その最高裁は、ときに疑問を抱かせる判断を行う」と、
 「仮に全員が現行条文での集団的自衛権の行使を認めない立場なら、解釈を確定するために8人の裁判官を交代させる必要がある。2017年3月までに8人が定年の70歳を迎え、内閣は後任を送ることになる。自民党はあと一回の衆議院選に勝利すれば、今回の決定に対する司法のお墨付きを確実にすることが可能になる」は、現状はその通りだと思った。
 しかし、「安倍自民党はすでに集団的自衛権についてマニフェストや政策集に記載して国政選挙に勝利し、公明党との協議を経て、閣議決定を行った」、
 「集団的自衛権の行使を認める解釈変更を覆したいならば、選挙で支持を得て政権に入る必要がある。」、
 「妥協を嫌い政権から逃げていては、護憲も何も絵に描いた餅でしかない。票と議席をを得ておいて、支持者に利益を還元しないのは、憲政では邪道なのである」、等の筆者の主張になぜかしっくりこないのはなぜか?
 筆者の主張を読んで、以下のような疑問が生じた。
 ①集団的自衛権についてマニフェストや政策集に記載されていても、それがすべて投票者によって理解されていたと判断していいのだろうか?
 ②投票者は白紙委任したしたのだろうか?
 ③投票者の方が、事情の変更で議員を変えたいと思った時、すなわち「時の民意と政権の意思」が離反した時に、それをただちに是正するシステムが無いことに問題はないか?
 ④基本政策が違うのに妥協して与党入りすることが、本当に政策実現の道なのだろうか?ただ、基本政策の放棄になるのではないか?
 ⑤多数派必ずしも正しからず、野党にいて多数派の過ちや横暴を徹底的に糾すこと、己の理念が最大多数の最大幸福に通じると信じ、日々活動に生かすこと等は、支持者に対する利益還元と言うべきではないのだろうか?
 
[PR]
トラックバックURL : http://sasakitosi.exblog.jp/tb/20972429
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by sasakitosio | 2014-08-03 10:56 | 朝日新聞を読んで | Trackback