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by sasakitosio

原発再稼働を問う 無謀な回帰に反対する

 7月17日朝日新聞社説に、「原発再稼働を問う 無謀な回帰に反対する」という見出しで、九州電力川内原発に対する、原子力規制委員会の審査書に関する記事が載った。
今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「原発事故が日本の政治と社会全体に投げかけた広範な問いはまだ何も答えられていない。
 ところが再稼働をめぐる議論はいつの間にか、原発の性能をめぐる技術論に狭められた。
 事故が起きた時の政府や自治体、電力会社の対応や、避難計画のあり方など、総合的な備えはほとんど整っていない。
 このままで原発を再び動かそうというのは暴挙である。未だに収束できない事故から何も学ぼうとしない無責任な態度というほかない。
 原子力規制委員会が九州電力の川内原発1・2号機(鹿児島県)について、新規制基準を満たすとの審査書案を出した。
 一年前に新基準ができて初めてのことだ。意見公募など手続きはまだあるが、規制委員による審査は実質的にヤマを越えた。
 安倍政権は「規制委員の専門的な判断にゆだね、安全と認められた原発は再稼働する」と繰り返している。あたかも規制委の審査が安全確保のすべてであるかのように。
 現実は違う、あまりに多くの問題点が置き去りにされている。規制委の権限が及ぶ範囲にも、その外側にも、である。
 このままでは、原子力規制のあり方を多少改めた以外、ほとんど何も変わらず、日本は原発依存になりかねない。」と切り出した。
 つづけて社説は、「安倍政権はエネルギー基本計画で、新規準を「世界で最も厳しい水準」と明記した。
 閣僚や自民党幹部もたびたび「世界一厳しい新規準で安全確認できたら、再稼働する」と口にしてきた。
 誇張が過ぎ、原発の安全神話を復活させかねない言動だ。
確かに新基準は、地震や津波への設備対策を以前より厳しく求めている。だが、それは有数の地震国である日本の特徴を反映したに過ぎない。
 事故が起きるおそれを数字で表す手法は、欧米では広く取り入れられているが、新基準はそこまで徹底していない。
 川内原発で注目された火山対策については、火山学者が疑問を投げかけるなか、手探りの火山監視で対応できるという九電の主張を追認した。
 本質的に重要なのは、新基準への適合はけして「安全宣言」ではないということだ。
 規制委の田中俊一委員長は「新基準では事故は起きうるという前提だ」と強調してきた。
 すなわち、事故対策は規制委だけでなく、電力会社や政府、自治体や住民も本気で考えるべきだと訴えてきたのだが、その多くが手つかずのままだ。
 何より、事故の際の避難で、現実的な計画が描けていない。
 規制委が示した原子力災害対策指針を基に、地元自治体がつくることになっている。いきなり難題を突く付けられる形の自治体側は戸惑っている。
 原子力政策を国策だとしておきながら、政府はなぜ、避難を自治体に丸投げするのか。
 再稼働の条件に、避難計画は含まれていない。このまま計画の見直しなしに自治体が安直に再稼働を同意しては、政府も自治体も住民の安全を守る責任を果たしたとはいえまい。」と指摘した。
 さらに社説は、「置き去りのままの重要課題はほかにもたくさんある。
 3年前事故が浮き彫りにした課題を何度でも思い返そう。
 過酷事故、とくに原発密集地での事故は、おびただしい数の住民を被曝の危険にさらし、膨大な土地を放射性物質で汚しかねない。なのに複数原発が集中立地している問題は、規制委でもまともに議論されていない。
 防災の重点地域が「おおむね30キロ圏内」に広げられたのに、再稼働への発言権は立地自治体だけでいいのか。
 福島第一原発の吉田昌郎所長(故人)の証言「吉田書簡」では、幹部職員の一時離脱が明らかになった。破局の瀬戸際の対応は電力会社任せでいいのか。
 根本的な問題は、日本社会が福島第一原発事故を十分に消化していないことだ。
 関係者や組織の責任を具体的に厳しく追及することもなく、かといって免責して事故の教訓を徹底的に絞り出すこともしていない。未公開の吉田書簡に象徴されるように、事故の実相は国民に共有されていない。」と指摘した。
 最後に社説は、「3年前、私たちの社説は「原発ゼロ社会」を将来目標とするよう提言した。幸いなことに、原発がすべて止まっても大停電など混乱は起きていない。
 関西電力大飯原発の運転差止めを命じた福井地裁判決は、「原発停止は貿易赤字を増やし、国富の流出につながる」という指摘に対し、「豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富だ」と断じた。
 原発を含むエネルギー政策は経済の観点だけでは語れない。
 人間と自然の安全を長い未来に渡ってどう確保するのか。
 放射性物質の処分問題も含め、広く深い議論を抜きに原発再稼働は進めてはならない。」と締めくくった。
 読んで、改めて勉強になった。
 無謀な回帰に反対するという、社説の主張に共鳴する。
 社説指摘の、
「根本的な問題は、日本社会が福島第一原発事故を十分消化してないことだ」・「関係者や組織の責任を具体的に厳しく追及することもなく」・「かといって免責して事故の教訓を徹底的に絞り出すこともしていない」、このあたりに問題が隠されているような気がした。
 福島第一原発事故を十分消化できる、歴史的チャンスは「民主党政権時代」にあったのではないか。政権交代の時は、政権獲得以前のしがらみを断ち切ることができたはずだ。
 それが出来なかった原因は、何なのか、その検証から始める必要がありそうだ。「天下り廃止」さえできなかった、民主党政権は、官僚支配から逃れられなかったのではないか?
 そして、今の自公政権も同じではないか?
 主権者国民の目をさまさせる、新聞はじめマスメディアの力で、「平和裏の内」に社会が変わるしか、道はないのではないか?
by sasakitosio | 2014-07-21 16:28 | 朝日新聞を読んで | Trackback