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by sasakitosio

原発の再稼働 新基準を隠れみのにするな

 7月12日付朝日新聞朝刊15面に「私の視点」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、明治大学准教授(原子力政策)・勝田忠広氏だ。 今日は、この記事に学ぶことにした。
 筆者は、「私は原子力規制員会による新規制基準策定の議論に参加してきた。その経験を踏まえ、原発再稼働について私見を述べてみたい。
 まず、新規制基準は世界最高水準ものではない。原発の設計そのものの見直しに踏み込まず、既存の設計に安全対策を追加させただけである。対症療法にすぎず、最新技術を設計段階から組み込んだ海外のそれとは違う。
 一方で、数多くの技術的・人的な安全対策を要求しており、諸外国と「同等」の安全性を求めたものといえる。したがって、基準を満たすのはかなり困難なはずだが、各事業者は基準が施行されて早々に審査を申し出ている。
 また、新規制基準は、それを満たせば十分というものではない。
 再低限の安全性に関する要求事項にすぎず、事業者は、積極的に自主的な対策を行う必要がある。
 だが、電力会社は、最低限の対策で済ませようとしているようだ。規制委員会の言うことだけを素直に聞いているという理由で、鹿児島県の九州電力川内原発1.2号機に最初に許可が下りるとすれば、それは危険な兆候だ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「安倍晋三首相や原発立地自治体の首長たちも、新規制基準の意味を理解していないのではないか。
 新規制基準は、可能な限り科学技術的視点から、政策の最終判断材料を提供するものだ。政府はそれを基に国民に納得のいく説明をする義務がある。にもかかわらず、「規制基準が世界で一番厳しい基準で安全と判断すれば、再稼働していきたい」と答えた首相は、自らの責任を放棄したに等しい。
 自治体の首長たちは、再稼働や避難計画について国が方針を示すことを求めている。 だが新規制基準は、川内原発であれば周辺の火山のリスクなど、地域の特性を当事者たちが理解してこそできるものだ。全責任を国に押しつけようとするのでは、福島第一原発事故以前と変わらない。」と指摘した。
 さらに筆者は、「新規制基準は、再稼働の是非と責任を考える「大人の対応」を求めている。しかし、電気事業者も、政府も、地方自治体も、誰も責任を取ろうとしない。
 再稼働は単に原子力の危険性を受け入れるというものではない。作業者や市民は、原子力を制御するのではなく制御され、事故が起こるのではないかとおびえて日々を過ごすことになる。原子力発電のために、個人の自由や尊厳を捨てることになりかねない。」と指摘した。
 最後に筆者は、「川内原発が審査をパスしたとしても、ようやく国民的議論をする準備ができたにすぐない。電力会社や政府、立地自治体は、新規制基準を隠れみのにして逃げるのではなく、国民と向き合うべきだ。」と、締めくくった。
 読んで勉強になった。
 特に、
 ①「新規制基準は世界最高水準のものではない。」とのこと。
 ②「新規制基準は、それを満たせば十分というものではない。」とのこと、
 ③「新規制基準は、可能な限り科学技術的な視点から、政策の最終判断の材料を提供するものだ。政府はそれをもとに国民に納得いく説明をする義務がある。」とのこと、
④「新規制基準は、川内原発であれば周辺の火山の噴火のリスクなど、地域の特性を当事者たちが理解してこそ達成できるものだ」とのこと、
 ⑤「新規制基準は、再稼働の是非と責任を考える「大人の対応」を求めている」とのこと、
 ⑥再稼働は単に原子力の危険性を受け入れるというものではない。」とのこと、
 ⑦「川内原発が審査をパスしたとしても、ようやく国民的議論をする準備ができたに過ぎない。」とのこと、等の指摘で、「安倍晋三首相や原発立地自治体の首長たちも、新規制基準の意味を理解していないこと」がよく分かった。
 「仮に、川内原発の新規制基準の審査がパスしても、それはようやく、再稼働の是非と責任について、国民的議論の準備ができたに過ぎない。是非と責任の取り方を、国民的に十分議論しないまま、再稼働をみとめれば、福島第一原発事故以前と変わらない」との、筆者の示唆は、これからの脱原発運動におおきな援軍に思えた。
 
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by sasakitosio | 2014-07-15 07:10 | 朝日新聞を読んで | Trackback