憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

権力者こそ最前線へ

 7月5日付東京新聞朝刊26.27面に、「こちら特報部」に、「戦争絶滅受合法案」に何を学ぶか、という記事が載った。
 「権力者こそ最前線へ」・「ファシズム台頭に警鐘」の大見出しが目を引いた。今日はこの記事に学ぶことにした。
 記事は、「昨年暮れの特定秘密保護法案成立から、一日の集団的自衛権行使容認の閣議決定までわずか半年余、この国にきな臭さが増している。この変化は、大正デモクラシーからファシズムが台頭していく時代としばしば比較される。その昭和の初期、「戦争絶滅受合法案」という題名の一本のコラムが発表された。筆者は自由主義者で、新聞人の先達である長谷川如是閑だ。このコラムから私たちは現在、何を学べるか。
 「戦争絶滅受合法案」は、如是閑や政治学者の大山郁夫たちが創刊した月刊誌「我等」の1929(昭和4年)年一月号の巻頭言として、発表された。「我等」は当時、「中央公論」、「改造」と並び、知識層の青年らに影響力があった。
 当時の日本は大正デモクラシーの末期とも、ファシズムの初期ともいえる端境期だった。世界的に大恐慌の前夜と言える」と教えてくれる。
 つづけて記事は、「このコラムで、如是閑は冒頭、第一次世界大戦から約10年が経って、世界は再び戦争の危険に脅かされつつあると指摘する。
 ここからは架空の話で、
 その危機から距離を置いているのはデンマークくらいであり、同国のフリッツ・ホルム陸軍大将なる人物が戦争を抑止するために「戦争を絶滅させること受合いの法案」を起草し、各国に配布、採用するように訴えていると記している。
 法律の案文の中身は、戦争する国が戦争行為の開始か、宣戦布告の効力を生じた後、10時間以内に以下の条件に該当する人物を一兵卒として招集し、最前線に送るよう定めている。
 その条件とは、
①国家の元首(発表時は治安維持法に配慮して{××}と伏字)。君主(伏せ字)か大統領かは問わないが男子であること。
②国家元首の男性の家族で16歳以上の者
③総理大臣および各国務大臣、さらに次官
④国民によって選出された男性国会員。ただし、戦争に反対票を投じたものは除かれる
⑤キリスト教、または他の宗教の管長や僧正など高い地位の聖職者を務めながら、戦争に対して公然と反対しなかった者の~~五つを挙げている。
 加えて、その召集に際しては、年齢並びに健康状態などは考慮しないという注釈がついている。
 さらに当人たちのみならず、これら人物の妻や娘、姉妹なども看護師として招集したうえ、最も戦場に近い野戦病院に勤務させることとしている。つまり、戦争することを決めたものたちが率先し、戦場に就くことを義務付けようとしている。
 だが、こうした法案を政策決定者たちが受け入れるはずもない。
 如是閑も承知しておりコラムは「これは確かに名案だが、各国をしてこの法律案を採用せしめるためには、も一つホルム大将に、「戦争を絶滅させること受合の法律を採用させること受合の法律案」を起草してもらわねばならぬ」という一文で締めくくっている。」と教えてくれる。
 さらに記事は、「如是閑は大正デモクラシー期の代表的な論客で、当時は50代。寺内正毅内閣の新聞弾圧「白虹事件」(18年)で大阪朝日新聞を退社したことで、その名を社会に知られている。
 如是閑研究の第一人者、神田外語大の山領健二名誉教授(日本近代思想史)は、如是閑の人となりについて、「無類の教養人だが、自らは「主義者」を名乗ることを拒み、生まれ育った深川(現・東京都江東区)の職人世界特有の実用主義を重んじた。ユーモアにあふれながらも鋭い批判で、国家に盾ついた」と話す。
 このコラムが書かれた当時の世相は、民主党政権の崩壊、東日本大震災を経た現在と通じる面がある。発表された前年の28年はどんな年だったのか。
 まず、特別高等警察(特高)が設けられ、1500人以上の共産党員らが一斉検挙される「3.15事件」が起きた。治安維持法改正で思想統制が強まった。
 軍部(関東軍)は欧米よりになった中国の奉天軍閥の指導者、張作霖を暗殺。日本の傀儡国家「満州国」建国に走っていた。
 だが、国内では関東大震災からの復興や、昭和天皇の即位の礼で、どこか浮かれた雰囲気もあった。
 「時代の転換期。31年の満州事変まで、言論界には政府を批判する余地が残されていた。」(山領氏)
 その28年の暮れに執筆された「戦争絶滅受合法案」に、如是閑はどんな思いを込めたのだろうか。
 山領氏は「新年号の巻頭言なので当然、29年がどうなるかを想定して書いている。一般人はまだ安穏としていたが、如是閑は明治からのベテランの新聞人として、時代はいつの間にか変わること、日本人の「政府を疑わない」「既成事実に弱い」という特質を熟知していた。
 世界では、28年に日本も含めて不戦条約が締結された。だが、ファシズムも台頭していて、その流れに警鐘を鳴らそうとしていた」と指摘する。
 ジャーナリストの二木啓孝氏も、このコラムは現在の状況に示唆的だと語る。
 「このコラムの力点は、まず戦争の現実を想起させることに置かれている。現在、「解釈改憲」に賛成した与党のメンバーで、自分や子供を前線に立たせる者はいない。集団的自衛権は彼らには観念でしかない。だが、現実にカナダや英国で死者が出ている。」
 二木氏は「このコラムの内容は、私たちが憲法を考える際の原点を示しているともいえる。憲法は政治家がやってはいけないことを国民がつきつけるもの。国民にとって、最もおおきな災禍は戦争だ。それゆえ、政治家たちに「戦争するならオマエたちが先頭に立て」と命じるのは当然のことだ。この法案自体は架空だが、今の政権に対してあるべき国民の構えを説いている」と評価する。
 残念ながら「戦争絶滅受合法案」が発表された4年後の23年、日本は国連を脱退し、37年には期中戦争、41年には太平洋戦争に突入した。」と教えてくれる。
 最後に記事は、「如是閑は75歳になった50年に「ある心の自殺伝」を出版した。戦前を回顧し、彼はこう記した。
 「(前略)無数の凡人どもはただそれらの優れた人々の作る歴史の流れの内に生死する、溝のボウフラのようなものだ。
 というような見地にひどく反感をもつように育ってきたので、いまこそそのぼうふらの無限数が絶対力を持つ時代である。私がもし野に叫ぶ何やらだったら、「溝の中の無限量のぼうふらよ立て~~」とでも呼ばわるだろう~~などと、そんなことは書きも言いもしなかったが、腹の中では長いことそう思っていた・・・」と、教えてくれた。
 如是閑氏が亡くなった1969年には、就職して2年目であった。だからか、如是閑氏の名前も記憶にあるし、「権力者こそ最前線へ」という言葉は、自分も含めて「人が為政者になった時の責任感」としてヅート持ち続けてきた。
 この新聞記事で、あらためて、如是閑氏の「戦争絶滅受合法案」にあったことを知った。
 宣戦布告後10時間以内に、
 ①国家の元首で男子
 ②国家元首の男性の親族で、16歳以上のもの
 ③総理大臣および国務大臣、さらに次官
 ④男性国会議員、ただし戦争に反対票を入れた議員は除く
 ⑤高い地位の聖職者をつとめながら、戦争に対して公然と反対しなかったもの
以上を宣戦布告から10時間以内に、一平卒として召集し最前線に送る。
 しかも、これには年齢及び健康状態などは考慮しない。
 加えて、これら人物の妻や娘、姉妹なども看護師などとして召集したうえ、最も戦場に近い野戦病院に勤務させる。
 このことは、主権者国民としては、戦争を始めようとする「為政者」に当然の要求として、突き付けることができるはずだ。この内容が、世界の一国にでも、誕生すれば、まちがいなく「戦争は絶滅危惧種」になるのではないか。
 いまの日本でこそ、必要な法案のような気がした。
 
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by sasakitosio | 2014-07-08 07:26 | 東京新聞を読んで | Trackback