憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

政治の言葉 首相の「慈悲深い圧政」

 7月1日付朝日新聞社説に、「首相の「慈悲深い圧政」」という見出しで、「安倍不条理劇場」の記事が載った。
 今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「1950年代から60年代にかけて注目を集めた劇作家ウージェーヌ・イヨネスコの「禿の女歌手」は、ひとびとの対話から、言葉の意味や倫理が抜け落ちていく不条理劇だ。
 最初はその異様さに笑うが、無意味な「音」と化した言葉の応酬を聞くうちに、もしかしたら、おかしいのは言葉が通じると思い込んでいる自分の方ではないかという気分になってい来る。不条理劇の妙味である。
 いま集団的自衛権の行使容認をめぐり政治の世界で繰り広げられている事態はまさに「安倍不条理劇場」とでも呼ぶにふさわしものだろう。」と切り出した。
 つづけて社説は、「なぜ憲法改正ではなく解釈改憲なのか。自衛隊員に命を捨てろというのか。この根本的な問いに、首相が真正面から答えたことがあるだろうか。代わりに発せられるのは「日本は戦後、平和国家としての道を歩んできた。この歩みが今後、変わることはない。」「自衛隊の諸君に愛する家族がいることを私は知っている」。全く答えになっていない。対話や説得の意思を欠いているから、言葉は言葉として機能しない。言葉が最大の武器である、政治という舞台で。
「「必要最小限度」の集団的自衛権の行使」という疑念は、「正直なうそつき」「慈悲深い圧政」というような語義矛盾である~~。政治学者や憲法学者らが結成した「立憲デモクラシーの会」はこう指摘している。
 だが首相は、「必要最小限」の歯止めはある、私があるというのだから、あるという態度を崩さない。「批判があっても、現実と向き合うことが政治家に任された責任だ」と力を込める。
 そうだろうか。「現実」は10人いれば10通りだ。だからこそ言葉を駆使して議論や対話を重ね・「現実」の大枠を決めていく、それが民主政治である。」と指摘した。
 さらに社説は、「首相はある種の全能感すら抱いているのではないか。「現実」は私が決める。私の現実に合わせて、解釈を変えればいいではないかと。そして、公明党は語義矛盾の世界に身を沈める覚悟を決め、いつの間にか国民の「時の内閣」の「総合的」「合理的」「主体的」判断に身を預けることにされている。」と指摘した。
 最後に社説は、「この不条理劇の幕が下ろされたとき、外の光景は以前とは違ったものになるだろう。
 他国で戦争ができる国へ。
 時の政権が憲法を都合よく解釈できる国へ。
 終幕は迫っている。観客ではなく主権者である私たちは声をあげ続ける。昨晩も首相官邸に多くの人が集まった。おかしい、認められないと。カーテンコールの喝采の代わりに」と締めくくった。
 読んで、安倍総理の精神構造への理解が深まった。
 社説指摘の
 ①「対話や説得の意思を欠いているから、言葉は言葉として機能しない」、
 ②「「必要最小限度」の集団的自衛権の概念は、「正直なウソ」「慈悲深い圧政」と同じような語義矛盾である」、
 ③「、「批判があっても、現実と向き合うのが政治家に任された責任だ」と力をこめる。」
 ④「首相はある種の全能感すら抱いているのではないか。「現実」は私が決める。私の現実に合わせて、解釈を変えればいいではないかと」、
 これらは、すべてを理解はできても、すべてが納得はできない。主権者の一人として。
 即刻、総理を辞して頂きたくなった。
 「安倍不条理劇場」は一日も早く、興行中止にして欲しい。
 社説の主張のように、「おかしい、認められないと。カーテンコールの、喝采の代わりに。」、興行中止まで、叫び続けよう。
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by sasakitosio | 2014-07-06 19:10 | 朝日新聞を読んで | Trackback