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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

アーニーが見た戦場

 6月23日付東京新聞社説に、「アーニーが見た戦場」という見出しで、(米国人ジャーナリスト)アーニー・パイルのことが載った。今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「きょうは沖縄慰霊の日です。先の大戦で本土防衛の捨て石とされ、戦後も過重な米軍基地負担を強いられる。沖縄県民を犠牲にする変わらぬ構図です。
 日本国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦の戦場となった沖縄県。激戦は1945年4月1日、米軍の沖縄本島上陸で始まり、日本軍が組織的戦闘を終える6月23日まで続きました。
 この戦闘に従軍して沖縄の地を踏んだジャーナリストがいました。第二次大戦の戦場から新聞にコラムを送り続けたアーニー・パイルです。
 この人の名を聞いて戦後の一時期、東京・有楽町にあった占領軍専用の「アーニー・パイル劇場」を思い出す方がいるかもしれません。まさにその人です。占領軍が接収した東京宝塚劇場をアーニーにちなんで改名したのです。
 アーニーは沖縄戦の前、欧州戦線にいました。44年には、その戦争報道によって、米ジャーナリズム界でも最も権威のあるピュリツァ―賞を受賞しています。」と教えてくれる。
 つづけて社説は、「アーニーはこの年、ノルマンディー上陸作戦にも従軍します。今年70周年の記念式典が行われ、ドイツ敗北の転機となった「史上最大の作戦」です。米軍とともに上陸し、激戦の舞台となったフランス大西洋岸の様子を、次のようなコラムに書きました。
 「私は上陸第一日目にぬれた砂浜を歩き回っていたころ、流木のような物が二本突き出しているのをよけた。だが流木ではなかった。それらは兵隊の両足だった。両足を除いて完全に砂をかぶっていたのだ。爪先が向いていた方向は、かれがはるばる見に来て、つかの間しか見なかった土地だった。」(デービット・ニコルズ編著、関元訳「アーニーの戦争」、JICC出版局)
 彼の文章からは戦争に対する冷徹な視点がうかがえます。戦争を称賛するわけでもなく、時に厭戦気分も書き記します。伝えようとしたのは戦争の現実、兵士の素顔でした。戦闘と向き合う一人の人間としての恐怖や苦悩。それが読者の共感を生んだのです。
 欧州戦線から太平洋戦線に転じたアーニーは、沖縄の上陸作戦でも、ノルマンディーと同じような凄惨な戦闘が繰り返されると恐れていました。それは杞憂におわります。兵力温存を図った日本軍が水際作戦を放棄したからです。
 しかし、その後の地上戦は激烈を極めました。生活の場で行われた戦闘で当時60万県民の4分の1がなくなったと言われます。
 ただ、アーニーは沖縄戦の様子を多く書き残すことはありませんでした。本島上陸から17日後の4月18日、転戦した本島近くの伊江島で狙撃され、亡くなったからです。44歳でした。」と教えてくれる。
 アーニーなら、凄惨な地上戦をどのような記事にして送ったのでしょうか。苦難を強いられた沖縄県民の様子も米国本土に伝わっていたら、その後の米軍による沖縄統治も違っていたかもしれません。アーニーの記事には、それほど影響力があったのです。」と教えてくれる。
 さらに社説は、「亡くなったアーニーのポケットからドイツ降伏に備えて事前に書いた原稿が見つかりました。
 「大量生産される死者―この国で、あの国で、毎月、毎年、冬にも夏にも。どこを向いても見慣れた死者だらけで、退屈である。どこまで行っても、退屈な死者だらけで、いやになる。こんなことを故国の皆さんは理解しようと試みる必要すらない。彼らは故国の皆さんにとっては数字の羅列、ないしは近所の誰かが、遠くへいったまま来ないだけに、すぎない。」(同)
 アーニーが感じていたのは、戦争と現実に向き合わざるを得ない戦場と、戦場から遠く離れ、戦争への想像力を欠く本国との落差かも知れません。
 ドイツ降伏はアーニー戦死のわずか20日後、其の1か月半後には沖縄での戦闘も終わります。」と教えてくれた。
 最後に社説は、「激戦地跡に造られた糸満市摩文仁の平和記念公園ではきょう、沖縄全戦没者追悼式が行われ、安倍晋三首相らも参列します。
 慰霊の日を前に、県都那覇市や米軍基地を抱える読谷、北中城両村の議会では「集団的自衛権の行使」容認に反対したり、慎重審議を求める意見書を可決しました。
 かって戦場となり、いざ戦争になれば攻撃対象となる米軍基地を多く抱える沖縄だからこそ、集団的自衛権の行使がもたらす危うさにも敏感なのでしょう。
 戦場に対する想像力を欠いた安全保障論議は空疎です。
 現実離れした事例を持ち出して、一内閣の判断で憲法の平和理念を骨抜きにする愚を犯してはなりません。
 首相は、沖縄という現実からも目を背けてはならない。」と締めくくった。
 「一内閣の判断で憲法の平和理念を骨抜きにする愚を犯してはなりません」との社説の主張に、賛同する。
 「アーニーが感じていたのは、戦争という現実に向き合わざるを得ない戦場と、戦場への想像力を欠く本国との落差かも知れません」との社説の指摘は、まさに、いまの日本の為政者の集団的自衛権の議論に象徴されているとおもった。
  日本の支配層の精神的停滞・劣化が極まってきたような気がする?
 この閉塞状況の打開には、どうしたらいいのだろうか?
 まずは、圧倒的多数の被支配層の国民に、自信と確信を与える「新しい哲学」の誕生と、それを広める「平和をこよなく愛する新聞」はじめ「マスメディア」の役割がおおきいのではないか?
 また、為政者の無策・無責任・無能は、逆説的に言えば、新しい秩序の誕生の「兆し」かもしれない?
by sasakitosio | 2014-06-27 07:29 | 東京新聞を読んで | Trackback