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by sasakitosio

若者の意識  「どうせ」のその先へ

 6月17日付朝日新聞社説に、「若者の意識 「どうせ」のその先へ」という見出しで、「こども・若者白書」が載った。今日は、この社説に学ぶことにした。
 社説は、「「自虐史観」を植え付けられて、若者が自国に誇りを持てなくなっている」
 「行き過ぎた個人主義がはびこり規範意識が低下している」こう熱心に主張される向きには、まずは安心していただきたい。
 閣議決定された今年の「子ども・若者白書」は、日本、韓国、米国、英国、ドイツ、フランス、スウェーデンの計7カ国で、13~29歳の男女約千人ずつを対象に昨年実施したインターネット調査の結果を掲載した。
 「自国人であるということに誇りを持っている」と答えた人の割合は日本が70%、米国、スウェーデン、英国に次いで高く、「自国のために役立つことをしたい」は55%でトップだった。
 一方「他人に迷惑を掛けなければ、何をしようと個人の自由だ」は42%、他国平均は約8割なので極端に低い。」と教えてくれる。
 つづけて社説は、「調査で若者意識すべてをつかめるわけではないが、気になるのは、「自分自身に満足している」と回答した人の割合が日本は46%で最下位だったことだ。 他の6カ国7割を超える。
 日本人であることの誇りが、自分自身への満足を大きく上回るという日本だけのこの傾向をさて、どう考えたらいいのか。
 いまを生きる子どもや若者の意識から、目に見えない、この社会の「気分」を感じ取ることができる。正解はない。ただ、基調には「どうせ」が漂っているように思えてならない。
 「自分の将来に明るい希望を持っている」(62%)、
 「うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む」(52%)、
 「社会をよりよくするため、社会における問題に関与したい」(44%)、
 「私の参加により、変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない」(30%)、
 すべて日本が最下位だ。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「「どうせ」は便利だ。高望みしなければ、失望せずに済む。低成長時代に適合した、「幸せ」な生き方だともいえる。
 だが、「どうせ」が広がると、本来は自分たちの手で形づくっていくはずの社会が、変わりようのない所与のものとして受け入れられてしまう。
 人は社会の中で役割を担い、そのことを通じて人に認められたいという欲急を満たし、生きている実感を手にできる。
 「どうせ」な社会はおそらくその機能を持ちえないだろう。
 「どうせ」なんかじゃない。
 かれらよりも長く生きている「大人」がそれを示せるかどうかが、まず問われている。
 「そんなキレイゴトじゃ、どうせ何も変わらないんだよ」で、片づけてしまわずに。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 社説の言う、「人は社会の中で役割を担い、そのことを通じて人に認められたいという欲急を満たし、生きているという実感を手にできる。」という指摘は、当を得ているような気がする。この指摘を基に、「日本人であることの誇りが、自分自身への満足を大きく上回っているという日本だけのこの傾向」を考えて見たくなった。
 自分の一部である「日本人」であることに誇りと自信は持てるが、自分自身の全部である「心」が「親子・兄弟・友達・職場、その他自分の周り」との関係において満たされていないのではないか?
 ここは、希望の大きさが、現実の満足の小ささにつながっているのかもしれないし、そして「どうせ」自分には無理だとあきらめているのかもしれないし、正解はないのかもしれない。
 自分的には、「希望は持ち続けなければ、実現しない。」、「精一杯の努力をして希望の実現に向けてぶち当たれば、跳ね返されたときに不思議と「次の道」が見えてくる。」、「挫折は、決して努力を無駄にしない。」、と子ども達に言ってきた。それがよかったのかどうか? 
 これからは、孫たちが、白書のどの部分当たるのか、観察してみたい。
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by sasakitosio | 2014-06-22 15:24 | 朝日新聞を読んで | Trackback