避難計画は不可能
2014年 06月 22日
筆者は、「一か月半ぶりに、川内原発(鹿児島県)正門前に立った。門は固く閉ざされ、鉄製の車止めがいくつも置かれている。フェンスの上に、大蛇のような大きくまかれた有刺鉄線が伸びていて、いくつかの監視カメラがこちらをにらんでいる。
警官隊がでているのは、鹿児島市内はじめ、全国から市民が抗議に来たからだ。鹿児島県は安倍政権がゴリ押しする、原発再稼働「突破口」の汚名に甘んじている。
県知事や薩摩川内市の市長が危険を顧みることなく、「早くやってくれ」と要望しているからだ。」と切り出した。
つづけて筆者は、「各地に原発が建設されたのは、そこが物理的に一番安全だからではなく「政治的条件」に恵まれていたからだ。カネの魔力には負けない反対が強ければ、電力会社は建設をあきらめてきた。再稼働の条件もまた同じである。
門の脇に座っている私たちの目の前を、黒牛を積んだ大型トラックや農耕用の小型トラックが通り抜けていく。ここは農業国なのだ。高いフェンスや有刺鉄線や監視カメラや警官隊は、門の内側にいる世界で一番危険な猛獣が暴れるのに備えているようでもある。
「30キロ圏までの要援護者の避難計画は現実的でなく不可能だ」と発言している。「10キロまでで十分だ」。それ以外の老人や病人は見捨てる。そうまでして原発を稼働させたい。カネのためである。」と締めくくった。
鹿児島県知事が「30キロ圏までの要援護者の避難計画は現実的でなく不可能だ」と発言している。
これは驚きだ。筆者の言う通り、「10キロまでで十分だだとし、それ以外の老人や病人は見捨てる。」というのは、知事としていかがなものか?
県民を一人も原発事故で見捨てない、その覚悟がなくて、原発再稼働をさせたいなどとは、全く理解に苦しむ。