憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

最高裁と米軍 司法の闇を放置するな

 6月19日付朝日新聞社説に、「最高裁と米軍 司法の闇を放置するな」の見出しで、砂川事件の再審請求のことが載った。今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「57年前、米軍の旧立川基地の拡張に反対するデモの中、学生らが敷地内に入った。
 日米安保条約に基づく刑事特別法違反で7人が起訴された。砂川事件である。
 東京地裁は、そもそも米軍の駐留が憲法9条に違反するとして無罪を言い渡した。
 つづいて高裁をとばして審理した最高裁は、その判決を破棄し、差し戻した。罰金2000円の有罪判決が確定した。
 最高裁はその際、次のような判断をくだした。
 日米安保条約のような高度に政治的な問題に、司法は判断しない~~。
 それは「統治行為論」と呼ばれ、いまでも重い判例として影響力を持っている。」と切り出した。
 つづけて社説は、「最近になって、この判決に大きな疑義が持ち上がった。
 裁判長だった田中耕太郎最高裁判所長官が判決に先立ち、米国大使らと会い、裁判の情報を伝えていたというのだ。
大使が本国にあてた複数の公電が米公文書館で公開され、そうした記述が見つかった。
 裁判は公平だったといえるのか。政治的に判決が導かれたのではないか。元被告ら4人が今週、裁判のやり直しを請求したのは当然だ。
 裁判所はすみやかに再審を開き、何が起きていたか、検証しなければならない。
 当時は日米安保条約の改定交渉の大詰めだった。米軍の駐留を違憲とした一審判決の取り消しを、両政府関係者が強く望んでいたのは想像にかたくない。
 そんななか、公電が伝えた田中氏のふるまいは、およそ常軌を逸したものだった。
 米側との面談で、審理の時期を洩らしたうえ、一審判決は誤っていた、と述べた。少数意見のない全員一致での判決にしたいと語った、とされる。
 公電は、外交官の都合に沿う表現や印象を反映しがちのものではあるが、これは司法の正義が根本から問われる疑義である。本来、最高裁自らがすすんで真実を解明すべきだろう。」と指摘した。
 最後に社説は、「半世紀前のことと決して受け流せない。判決は今に至るまで、在日米軍がからむ訴訟でことごとく判断を放棄する理由となっている。
 統治行為論は、司法の託された立法と行政に対するチェック機能を骨抜きにするという批判がかねて向けられてきた。
 むしろ高度な政治問題であるほど国民への影響は大きい。
 憲法の番人として、司法判断には重い役割が求められる。
 判決の正当性が揺らいだいまこそ、問いなおさねばならない。」と締めくくった。
  半世紀前に、初めて日本国憲法を読んで、疑問に思ったことが三つあった。
 ①すべて国民は法の下に平等なのに、この国民に天皇ははいらないのだろうか?
 ②戦力は保持しないはずなのに、自衛隊は戦力ではないのか?
 ③最高裁は違憲立法審査権があるはずなのに、統治行為論は、権限放棄の理論ではないのか?これこそ憲法違反ではないのか?
 以上の疑問は、自分的にはいまだ解決されていない。
 社説によれば、「砂川判決では東京地裁は、そもそも米軍の駐留が憲法9条に違反するとして無罪を言い渡したとのこと」この方がすっきりする。
 最高裁では「日米安保のような高度に政治的な問題に、司法の判断はしない~~。」として一審判決を破棄し、差し戻したとのこと。これでは、どっちの裁判所が高い位置なのか疑問ではないか?
 しかも、社説によれば「当時の裁判長だった、田中耕太郎最高裁長官が判決に先立ち、米国大使らと会い裁判の情報を伝えていたとのこと」。
 さらに社説によれば、「米側との面談で、審理の時期を漏らしたうえ、一審判決は誤っていた、と述べ。少数意見のない全一致での判決にしたいと語ったとのこと」。
 戦前は天皇制、戦後はアメリカ制(アメリカの植民地)、そんな為政者総体の心理の象徴のような事件ではないのか?極東裁判に異議を唱える人々が、安倍政権の周りにいるようなので、為政者の中では、今日的には半アメリカ制なのかもしれないが?
 この経過から見れば、砂川事件の再審は、日本憲法下での「司法権の独立」・「違憲立法審査権」の存否を賭けた、戦後民主主義の再生を占う、重大な再審だ。最高裁は、その存在意義が問われていることを深く考えてほしい、と思った。


 
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by sasakitosio | 2014-06-21 08:14 | 朝日新聞を読んで | Trackback