憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

福島の教訓踏まえた議論を

 6月10日付朝日新聞社説下に、「社説余滴」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、社会社説担当・加戸靖史氏だ。 今日はこの記事を勉強することにした。
 筆者は、「「原発の稼働は憲法上、人格権の中核部分より劣位」「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富」
 先月21日、関西電力大飯原発の運転差止めを命じた福井地裁判決の抜粋だ。
 当日は度肝を抜かれた。差し止めはあるかも、と見ていたが、これほどまで命と暮らしに重きを置いた判決が出るとは思っても見なかった。
 70年代から続く原発訴訟で住民側勝訴は過去2回だけ。東京電力福島第一原発事故が、裁判所の意識を変えたのは明らかだ。裁判長は「原発技術の危険性の本質と被害の大きさは十分に明らかになった。」と述べている。
 その通りだろう。私たちは原発の恩恵を享受してきた。
 だがあの事故まで、負の側面に思いをはせてこなかった。
 もう取り返しがつかない
 せめて繰り返さないために、福島の教訓を改めて胸に刻んでいくしかない。判決を読み返し、私は思った。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「一方、この判決は強い批判を招いた。
 産経新聞の「主張」(社説)は「非科学的、非現実的判決だ」とし、読売新聞の社説は「ゼロリスクに囚われた、あまりにも不合理な判決」とした。原子力や地震学の専門家も相次いで疑念を示した。
 「科学的でない」「電力危機への認識が足りない」というのが主な論点だ。
 うなづける指摘もある。だが、どうしても合点がいかないのは、福島の反省と教訓をどうとらえているのかがあまり見えないことだ。
 リスクのない技術は確かにない。だがあの事故が、私たちが受容すべきリスクであっていいはずがない。
 大事なのは命と暮らしが原発に脅かされないことだ。そのために稼働停止を選んだ司法判断が誤りだというなら、「ではどうすればいいのか」をしっかり聞きたいと思うのは私だけだろうか。」と指摘した。
 最後に筆者は、「日本原子力学会も判決を「不適切」とする見解を出した。ただ、担当者は「国民に理解されていないことを知り、反省している。原発稼働が必要だと考えている我々こそ、骨太の説明をしていかねば」と私に語った。
 そうであってほしい。原発を維持するにしても、なくするにしても、議論を深めることが不可欠だ。事故を経てもなお原発を動かしたいという人たちはまず、反対派を「無理解」と切り捨てないスタンスからの主張を望みたい。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
  読売新聞が社説で「ゼロリスクに囚われた、あまりにも不合理な判決」としたとのこと。福島第一原発事故によって原発の安全神話が、同じ日本人を回復不可能な状態に陥れた形で、ものの見事に砕かれた。しかも、いまだに収束のめどが立っていない。この現状の中に生きていて、リスクをゼロにしたくない人の気がしれない。
 また、日本原子力学会も担当者が、「原発稼働が必要だと考えている我々こそが、骨太の説明をしていかねば」と筆者に語っているとのこと。
 安全神話の崩壊で、原発関係の学者の信用が地に落ちているときに、「骨太の説明」で、原発稼働が必要だと、国民を説得できると、本気で思っているのだろうか?
 骨太の説明の前に、まず、福島第一原発事故を収束して見せることが、重要と思い至らないのだろうか? 
 筆者が、「・・司法判断が誤りだというなら、「ではどうすればいいのか」をしっかり聞きたい」との指摘は、全く同感です。その上、答えの中に、答えた人も含めた「日本人の命と暮らしが再び原発に脅かされない<名案>」が、飛び出すことを心から期待したい。
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by sasakitosio | 2014-06-11 07:10 | 朝日新聞を読んで | Trackback