憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

にわか人手不足の怪

  5月25日付東京新聞4面に、「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。今日は、こに記事を学習することにした。
 筆者は、「突然、人手不足。そんな感じになっている。建設・外食・小売り・運輸・IT・介護。派遣社員、パート、アルバイト。時給はドンドンあげますよ。正社員にもしてあげる。ともかく来てくれ。働いてくれ。そんな労働市場模様が、メディアをにぎわすようになった。誠にめでたい。そう言いたい気持ちはある。働く人々にとって、久々の売り手市場ほど、心強いものはない。安堵感が広がる。
 ようやく、正当な評価を得られる時が来た。その思いには、胸躍るものがあるだろう。良かった。そう胸をなでおろしたい。
 だが、どうも、いささか不気味だ」と切り出した。
 つづけて筆者は、「これでいいのか。大丈夫なのか。突如として人の取り合い合戦が始まる。この光景を前にして、三つの驚き兼怒りが頭の中を駆け巡る。
 第一に、日本経済の変貌ぶりがすごい。
 第二に、ヒトはモノではない。
 第三に、政策による自作自演の結末が恐ろしい。
 第一からいこう。日本経済はいかに底の浅い経済になってしまったことか。
人員を絞りに絞る。
賃金をたたきにたたく。
労働時間を限りなく長くする。
切り捨てられるのりしろを、全部切り捨てる。
のりしろでない部分まで、そぎ落とす。
もはや、薄くできる余地のないはずの薄づくりを、さらに薄くする。そうやって、なんとか売り上げや利益をひねり出してきた。
 このやり方を続けてきたために、ゆとりが全くなくなっている。ほんの少しでも環境が変わると、あるいは変わったかに見えると、小さく小さく、辛うじてつじつまがついていたバランスがたちどころに壊れてしまう。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「第二の点に進もう。労働の価値が、少しばかりの需給の変化でこのように乱高下していいのか。人は株式ではない。金でもない。小麦でも、大豆でもトウモロコシでも原油でもない。あたかも投機性商品のごとく、「ヒトの値段」が激変していいのか。今日、これだけ上がるなら、明日はどれだけ下がるか分からない。そんな動きに人間の労働への報酬がさらされていいのだろうか。
 第三の点が、最大の曲者だ。公共事業の大膨張。「景気は気から」を煽り立てるドーピング型の政策言動。それらがもたらす脅迫観念。この心理に突き動かされて、人の取り合いが高じて行く。そのように見える。まるで消費税増税を前にしたパニック的買いだめ行動のごとしだ。この調子で行くと、人手相場の急騰についていけない中小零細企業は、人手不足倒産に追い込まれかねない。
 そうこうする中で、何と、日銀総裁が日本経済の供給不足が心配だと言い出している。昨日までの需要不足経済が、いまや供給不足経済なのだという。確かに、その通りの面はある。ここが、上記第一点の底の浅さ問題と重なってくる。だが、だからと言って、設備投資をもっとやれ、もっと人狩りに精を出せ、と煽り立てるのは、奇異だ。実に、マッチポンプ的なやり方である。つくられた高速回転景気のイメージの中で、経済の本源的なバランスがどんどん崩されて行く。それが怖い。」と指摘した。
 最後に筆者は、「政策が、経済の均衡を突き崩す役割を果たすようになっては、世も末だ。多くの人々が、労働市場から締め出された状態での人手不足には、なんとも違和感がある。日本経済の新たな均衡点はどこにあるのか。求められるのは、それを探り当てるための真摯な熟考だ。」と締めくくった。
  「日本経済はいかに底の浅い経済になってしまったか」、
  「あたかも投機性商品のごとく、「ヒトの値段」が激変していいのか」、
  「つくられた高速回転景気のイメージの中で、経済の本源的なバランスがどんどん壊れていく」、等の指摘には、ものすごく刺激された。
 何が根源的に大切なのかが、忘れられ、現状対応ばかりが優先されているような気がしてならない。
 何のための国家、何のための会社、何のための経済、何のための社会、何のための労働、なのか?
 時給が800円から1500円に上がっても、終身雇用・定期昇給という雇用・賃金モデルが復活しない限り、労働者の不安は尽きないのではないか?
 
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by sasakitosio | 2014-05-31 07:21 | 東京新聞を読んで | Trackback