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by sasakitosio

原発事故証言 再稼働より全容公開だ

 5月21日付朝日新聞社説に、「原発事故証言 再稼働より全容公開だ」の見出しで、「吉田書簡」の記事が載った。
 今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「危機が極まった局面では、人間は必ずしも規則通りには動かない。自らの命を優先する者もいる。それを計算に入れずに、どう安全を設計できるのか。
 福島第一原発の元所長、吉田昌郎(昨年12月に死去)の証言を記録した「吉田調書」の内容が明らかになった。
 貴重な証言を読むと、根源的な疑問が浮かぶ。原発とは、一民間企業である電力会社に任せていいものなのか」と切り出した。
 つづけて社説は、「政府の事故調査委員会による調書によると、発生4日後だった。原子炉そのものが壊れるかもしれない。その最悪の事態が心配された時、所員9割が命令に反して10キロ余り離れた別の原発に一時退避したという。
 原発の事故対応をめぐる疑問は以前からあった。電力会社は原発運転員らに「命が危なくても残って作業せよ」と命じられるのか。どこまで必要な人員を確保し続けられるのか。そう危惧される事態が実際に起きていたのである。
 現在の商業用原発は、異常が起きた場合、運転員が適切に対応して初めて安全が保たれる。
 深刻な状況になればなるほど、対応に人手が必要になる。だが、自衛官や警察官、消防士なと特殊な公務員と違い、原発運転員は民間従業員である。
 当時、現場に残って献身的に働いた約く50人は「フクシマ・フィフティー」と呼ばれ、世界から称賛された。だが、つぎの事故でもそんな英雄的精神が発揮される保証はない。吉田調書は重大な問題を投げかけている。」と指摘した。
 さらに社説は、「ところが原子力規制委員会の田中俊一委員長は調書の存在自体知らなかったという。事故を繰り返さないために生まれた規制組織が、事故の詳細を把握していないとは理解に苦しむ。
 原発の新しい規制基準が昨年つくられる過程でも、事故時の運転員たちの離脱は、その可能性さえ議論されてこなかった。
 失敗学で知られる政府事故調の畑村洋太郎元委員長は、報告書の総括で「あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる。」と述べた。その反省はどこへ行ってしまったのか。」と指摘した。
 最後に社説は、「政府事故調は772人もの関係者から事情を聴いている。ほかにも貴重な論点が隠されているに違いない。
 東京電力はただちに事実関係を明らかにすべきだ。この問題を正面から議論せずに原発運転を任せることはできない。
 政府は事故調の資料を全て公開し、「福島の教訓」を国民的にくみ取る努力を尽くすべきだ。それなしに、再稼働へ突き進むことに反対する。」と締めくくった。
 社説の指摘で、刺激を受けた。
 まず、「原発とは、一民間企業である電力会社に任せていいものなのか」との社説の根源的な疑問は、原発問題を考え、責任問題を明らかにするうえで、ものすごく大事な視点だと思った。
 その視点から、責任は、東電がターミナルではない。進めてきて、東電にやらせた「政府」そのものが、政策推進者が責任のターミナルだ。
 次に、「原発運転員は、自衛官や警察官や消防士ばど特殊な公務員と違い、民間従業員である」の指摘は、事故対策上の大問題を含んでいる。
 なぜなら、危機が極まった局面で、電力会社は原発運転員らに「命が危なくなっても作業せよ」と命令できるか?できるはずがない。しかし、事故の時こそ、ベテランの運転員が適時的確に対処しなければ、取り返しのつかない事故に発展する。それが原発事故だ。福島の教訓だ。
 社説は、「政府は事故調の資料全て公開し、「福島の教訓」を国民的にくみ取る努力を尽くすべきだ。それなしに、再稼働へ突き進むことに反対する」としているが、これは国民的に理解される結論ではないか。
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by sasakitosio | 2014-05-27 07:15 | 東京新聞を読んで | Trackback