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by sasakitosio

「お客様は神様」でいいのか

 5月11日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。筆者は関西学院大学准教授・貴戸理恵氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「日本の「おもてなし」を評価する声は強い。確かに、サービスを消費する立場にとって、約束を確実に守り、連絡を絶やさず、丁寧な日本のサービスは心地よい。だが、質の高いサービスが提供されるとは、それを提供する労働者に負荷がかかっているということだ。
 消費するとき、サービスは便利なほど心地よい。しかしサービスの提供者になる時はどうか。
 「お客さま」の希望(わがまま?)に細心の注意を払うあまり、振り回されて自分の生活を犠牲にしてはいないか。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「私は先月からオーストラリア南部の都市で暮らし始めた。人々がのんびりしていて時間がゆっくり流れるこの街では、日本の感覚からすると「あれ?」と思うようなことが起こる。
 たとえば、「5時まで」の店に4時45分に」入ったら、もう店員が掃除をしていた。5時に店が終わるのではない、5時に帰るのだ。
 業者に送ったメールの返事は一週間後にようやく来る。配達を頼めば「何日になるか分からないけど、つく前に電話するよ」という具合。
 客商売であっても、多くの場合、働く側の都合が優先される。だからサービスを受ける側も、きちんとやってもらうためには、しっかり主張し、確認しなければならない。客の主張がなかったためおこる行き違いは、働く側の怠惰ではなく、消費する側の責任になる。
 最初のうちは「どうしてこんなこともしてくれないの」と腹を立てたり、戸惑ったりしていた。
 だが、それは私が「消費する側に立っていたからだった。もし「働く側」の立場だったら?自分に都合のよいスケジュールは、客を多少待たせても優先させる。
 それで特に文句をいわれなければ、ずっと待ってもらえばよい。それは、働く者にとって、やりやすい環境ではないか。
 やりやすいだけではない。もっと重要なのは、働く側も「あくまでも客と対等なひとりの人間である」ことを見失わない点だ。日本のサービス産業ではしばしば、「お客さんは神様」と言う言葉が使われる。働く者は「下」の存在として客に仕えるのであって、決して対等にはならない。客でいるときは心地よいが、働くときは大変だ。客の都合で突然残業が入るのは当たり前、友人と会うのをキャンセルしたり、保育園に子供を迎えに行くサポートを探したりしなければならない。そうやって、働くあいだは私生活を犠牲にすることが「当たり前」になっている。もっといえば、労働者として神経を使いストレスをため込むほど、逆に客と言う立場になった時、きめ細かなサービスに癒され、思い通りにいかなければ文句をつけるようになるのではないか。」と指摘した。
さらに筆者は、「どちらがよい、というものではないだろう。高質のサービスが価値あることは確かだ。
 だが、客は神様でなく、働く者は下僕ではない。両者がともに人間らしい生活を大切にしながら生きられる環境が第一に重要ではないか。」と指摘した。
 最後に筆者は、「私たちは、消費者であると同時に働き手でもある。暮らしを優先する働き方が受け入れられるようになれば、仕事の敷居は下がり、子育て中の親や対人関係に問題を抱える若者など、これまで働きづらかった人々も、より働きやすくなるだろう。そのために、多少の不便をやり過ごすおおらかさをもつのも悪くない、と思う。」と締めくくった。
 サービス業をしていると。「お客様は神様」であると、思うが、自分的には働く人を「下」だと思ったことは一度もない。多少の不便を感じた時は、人はいろいろ居て面白いと、思うことにしている。
 
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by sasakitosio | 2014-05-18 15:27 | 東京新聞を読んで | Trackback