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by sasakitosio

年金の未来㊥ 「生活習慣病」から脱する

年金の未来㊥ 「生活習慣病」から脱する
4月30日付朝日新聞社説に、「年金の未来㊥ 「生活習慣病」から脱する」の見出しで、社説の年金シリーズン㊥が掲載された。今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は「年金を受け取っている方々は「とんでもない」と思うかもしれない。だが、今の年金水準は本来の姿よりも高くなっている。
 前回(21日付)の社説で紹介した通り、少子高齢化に合わせて年金水準を抑える仕組み(マクロ経済スライド)は、賃金や物価の下落時には適用しない決まりがあるからだ。その分、将来世代の年金を下げざるをえない圧力がかかっている。
 人の体にたとえれば、生活習慣病の状態である。手をこまねいていれば、いずれは致命傷になりかねない。」と切り出した。
 つづけて社説は、「年金制度は5年に1度、「財政検証」という健康診断を受ける。年金水準はその重要なチェック項目で、「所得代替率」で診る。受け取る年金が現役世代の手取り収入に対し、どのくらいの割合かという数値だ。
 今の制度は、サラリーマンと専業主婦の世帯が年金を受け取り始める時点で「所得代替率50%」を下限としている。何かと物入りな現役世代の半分くらいな収入で生活してもらおうというイメージだ。
 日本では老後の平均所得の7割弱は公的年金で、年金しか収入のない人も6割いる。老後の生活を支える水準を確保しないと、社会が成り立たない。
 それを、代替率50%に設定したわけだ。このラインを下回ると、年金を増やす検討に入ることがルール化されている。
 一方、代替率が高すぎるのもまずい。今の年金受給者には良くても、年金のお金の入りと出を調整する積立金を多く取り崩したりしなければならず、将来世代が受け取る年金が減ってしまうからだ。
 04年の年金改革の時点で、代替率59.3%。これを5年で57.5%に引き下げる予定だった。ところが、09年の健康診断では逆に62.3%へと上がってしまった。
 一番の原因は、前述したように、現役世代の収入が下がったのに、それに見合って年金を下げられなかったことにある。
 年金は高齢者を社会全体で扶養する「国民仕送りクラブ」のようなものだ。支える側の現役世代の暮らしぶりと、年金と言う仕送りでの生活とのバランスが崩れれば長続きしない。
 国はこの問題の是正に手をつけないできた。
 いずれデフレが解消され、マクロ経済スライドも機能しはじめるという立場だったが、内実は「将来世代のために今の年金を削る」というつらい措置について、国民を説得する気構えも体力もなかったといえる。
 体力を奪ったのは、04年以降に相次いだ旧社会保険庁の不祥事だ。年金記録ののぞき見や「宙に浮いた年金」など、ずさんな運営が露呈するなか、厳しい見通しを示して痛みを迫れば不信感は増幅する。そう恐れたのかもしれない。」と指摘した。
 さらに社説は、「「抜本改革」を求める声が強まった背景には、こうした年金不信の高まりがある。その流れを振り返ってみよう。
 厚生労働省は09年5月、野党だった民主党の求めに応じ、賃金や物価などの経済前提を「過去10年の平均」にした場合、年金の先行きはどうなるかという試算を公表する。
 結果は衝撃的だった。マクロ経済スライドが機能しないために、所得代替率が72%まで上がり、2031年に積立金が枯渇するというものだった。
 最も試算の前提となった「過去10年」は、長期の景気拡大時を含んでいたとはいえ、平均すれば実質経済成長率も賃金・物価もマイナスだった時期だ。これがずっと続けば年金どころか日本の経済や社会自体が立ち行かない。
 民主党は「破綻しかけている年金を抜本改革する」と主張。
 最低保障年金の創設を掲げ、国民全員に月7万以上の年金を約束して政権の座に就いた。大胆な外科手術の提案である。
 しかし、与党としての3年3か月、民主党案は実現の兆しすら見えなかった。制度変更に伴う国民の負担が重くなり過ぎるからだ。結局自民、公明の両党と話し合い、漸進的な修正に立ち戻るしかなかった。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「生活習慣病には、食事制限と運動を地道に積み重ねるしかない。経済全体の体力を回復させつつ、将来世代も考えて妥当な給付水準を設定する。それが年金をめぐって、政権交代から得た貴重な教訓だろう。
 安倍政権のもと賃金や物価は上昇基調に転じ、マクロ経済スライドの発動開始も視野に入ってきている。
 ただ、長期にわたり年金額を抑制していく措置には相当な反発があるはずだ。将来世代への責任を果たすため、政治には強い覚悟が求められる。」と締めくくった。
読んで、」勉強になった。
 「所得代替率の計算方法、その基礎的な項目と項目ごとの数字の拾い方」が知りたくなった。負担と需給のバランスを計る「メートル原器」そのものが、為政者の都合にいいように「作られて」いないのか?知りたくなった。
 「積立金の取り崩しは、いつかは、積立金の積み立てに変わる、事はないのか」、財政検証の検証が必要ではないかとの疑問が湧いた?
 「いずれデフレは解消され、マクロ経済スライドも機能し始めるという立場だったが、内実は「将来世代のために今の年金を削る」というつらい措置について、国民を説得する気構えも体力もなかったと言える」との社説の指摘は、その通りかもしれない。
 ただ、国民にとって「経済情勢の変化で、年金が上下すること」に対して、共通の理解は比較的得られるのではないか。それよりも景気が悪い時の「説明と負担増」だけ強いられ、良くなった時の「説明のなさ、回復の遅さ」を、国民は経験的に知っているのではないか。
 また、為政者が年金制度を作る時点で、当面の積立金に目が眩んで、給付について積算が甘かったのではないか?、
 だから、「年金不信」と言うよりも「政府・役人」不信が根本のような気がするが。
 受給者国民の「生活習慣病」を根治すためには、政府役人の被治者の痛みに対する「不感症・認知症」を治すことが先決のような気がするが?
 
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by sasakitosio | 2014-05-14 07:03 | 朝日新聞を読んで | Trackback