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by sasakitosio

「宝塚100年」から考える 新たな「都市像」を探るとき

 4月20日付朝日新聞朝刊6面に、「波聞風問」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、編集委員・多賀谷克彦氏だ。
 今日は、この記事に学ぶことにする。
 筆者は、「宝塚大劇場は、大阪・梅田から阪急電鉄の急行に乗って40分ほどのところにある。4月5日の大劇場前は、宝塚歌劇100周年の式典に出る元タカラジェンヌを一目する見ようとする1千人を超すファンらでごった返した。年間講演460回、観客は年100万人を超える。
 鉄道開業当時の宝塚は「見る影もないお寂しい一寒村にすぎなかった。」と、阪急創業者の小林一三氏が書き残している。
 その寒村で、なぜ少女歌劇だったのか。紆余曲折あっての設立だったが、小林氏は「一日も早く沿線を住宅地として発展させるより外に方法はなかった。沿線が発展して乗客数が固定するまでは、やむをえず何らかの遊覧設備つくって多数の乗客を誘引する必要に迫られた」(宝塚生い立ちの記)とも記す。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「20世紀に入る前後の大阪は、「煙都」と呼ばれるほどの一大生産拠点だった。市民には、より良い環境に住みたいという意識が広がりつつあった。それが幸いした。彼の沿線開発は英国の「田園都市」に通じ、鉄道に住宅開発、百貨店、娯楽施設も備える。その手法は、五島慶太氏の東急電鉄、堤康次郎氏の西武鉄道に引き継がれた。
 それから100年。「寒村」だった宝塚市は22万8千人を抱えるまでになったが、昨年の推計人口は阪神大震災時を除いて初めて減少に転じた。大阪の都心部も、もはや生産拠点ではない。それを支えた工場や物流拠点は商業施設、オフェスビル、高層マンションに姿を変えている。
 今、開発は郊外から都心部へと移っている。大阪・安倍野の日本一高いビル「あべのハルカス」、JR大阪駅前複合施設「グランフロント大阪」。東京五輪を控えた首都圏でも、これから都心部での再開発が進む。高度成長、バブル崩壊の末に行き着いた都心回帰の流れ。小林氏の時と逆の動きだ。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「しかし、高齢化・人口減少社会に適した都心、社会インフラ像が確立しているとはいえない。小林氏は100年前、市民のニーズを読み取った。では、これからの市民が都市に求める機能とは何か。
 「小林さんが書き残しているわけではないが、彼が沿線に残そうとしたものは教育、文化、安全だった。歌劇もその一つ。その思想はこれからの都心開発にも通じる」と阪急阪神ホールデングスの角和夫社長は言う。例えば高等教育、研究機関、文化施設、緑地は「都市格」を高め、安全性も防災機能も整う。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「小林氏が具体化してみせた都市の機能をどう継承、発展させるのか、事業の主体が民であろうと、官であろうと、大量生産、大量消費を前提にした20世紀型の都市像ではもたないことは明らかだ。」と締めくくった。
 少子高齢化時代、生産も消費も流通も交通も、ネットの普及で想定外の変化を余儀なくされている。電車の中で、スマートフォンに夢中の人が多い。カップルが会話もしないで、スマートフォンに夢中な姿は良く見慣れた光景だ。
 喜びも、楽しみも「人」あってこそ、深まると思うのだが。
 都心の街づくりは、老若男女がふれあいの機会を増やす、街づくりを基本に、考えてほしい。
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by sasakitosio | 2014-04-26 18:01 | 朝日新聞を読んで | Trackback