憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

必要なのは小姑の愛

 4月20日付東京新聞4面に、「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、同志社大学教授・浜矩子氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 筆者は、「世の中には、聞きたいこととか、言い難いことと言うものがある。
 「STAP細胞ってホントにあるの?」とか。
 「原発って本当は安全じゃないんじゃないの?」とか。
 「あの王様、どう見ても裸だよね」とか。
 誰もがそうであってほしいと考えている。そうであってもらわなくては困る。そうした「そうであってほしいこと」を前にして、われわれはついつい疑問を引っ込める。見て見ぬふりをしてしまう。
 これほど恐ろしいことはない。だが、これほど抵抗することが難しい誘惑はない。逆らうことに、これほど、勇気とエネルギーを要する圧力はない。STAP細胞問題については、門外漢だから、とやかく言う筋合いではない。
 だが、重要な発見や主張が世に問われようとする時、その信憑性や説得力が厳しく吟味されるのは当然だ。そのための体制がしっかり整えられていることは常識だ。そこには客観性があり、希望的観測が入り込む余地はあってはならない。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「取り返しがつかない事態が発生することを防ぐためには、何が必要か。どのような存在が求められるのか。それは、うっとうしい小姑だと思う。冷酷無比にして、情け容赦無し、ひたすら、あら探しに情熱をかける。そのような恐ろしき監視人が必要だ。
 そのような人々が活躍している世界が、どこかにあるか。それはある。出版とメディアの世界である。この世界には、編集者が存在する。そして校閲スタッフがおいでになる。
 とくに後者が怖い、彼らは、全く情に溺れることのない目で、執筆者たちの原稿を見る。どんな面白いことが書いてあっても、事実関係が正しくなければ、バッサリ切られる。どんな切れ味鋭い突っ込みがなされても、誤解に基づく部分があればごりごり指摘される。
 締め切りに追われた執筆者たちが慌てて書いていることを、彼らは決して信用しない。年代や数値はだいたい間違っているという認識に下に、厳しくチェックする。比喩は適切か。格言の解釈に無理はないか。読んだと称している本の筋書きに、思い違いはないか。それは手厳しい。
 この小姑さんたちがいてくれるからこそ、執筆者たちは、安心して締め切りと格闘できる。小姑チェックを当てにできないとなると、これは大変だ。むろん小姑チェクがあるからといって、いい加減なことをしているわけではない。だが、人間、焦るとどんな取りこぼしがあるか解らない。期待の重圧がのしかかればのしかかるほど、とんでもない逃げ道に駆け込みたくもなる。致命的な失態や悲劇から、人々を守ってくれる、それが小姑チェックだ。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「研究や教育の世界にも、小姑チェック役は必要だ。我がゼミの学生さんたちとの関係でいえば、その役割を果たすべきなのが、筆者だ。一番、聞かれたくないことを聞く。一番言われたくないことを言う。数字の出所を執拗に追及する。
 後で決定的な破綻が生じないよう、事前に徹底的小姑と化す。これはなかなかつらい。だが、これぞ至高の愛だ。小姑愛あるところに、トラブル無しである。」と、結んだ。
 おもしろい、小姑チェックと言う言葉が、分かりやすく、また当を得ている。女房の小言も、トラブル防止の妙薬と思えば、腹も立たないか?
 それにしても、執筆者の気持ちがよく分かったし、校閲者の能力の凄さも改めて分かった。コラムを読んだ感動の半分は、校閲者のおかげなのか!!?
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by sasakitosio | 2014-04-24 07:19 | 東京新聞を読んで | Trackback