憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

言論と憲政  「神様」を訴追した時代

 4月5日付朝日新聞社説下に、「記者有論」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、オピニオン編集部・駒野剛氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「1890(明治23)年の国会開設時から連続25回当選し、60年余り衆議院議員を務めた尾崎行雄。憲政記念館に立つ銅像は、隣の国会議事堂を見つめ続けている。
 元号が大正にあらたまった1912年の暮れ、師団増設に応じなかった西園寺公望内閣を陸軍が潰した後に第3次桂太郎内閣が登場する。出身の長州閥に頼った藩閥支配を続けようとした。これに議会人らが立ち向った第一次護憲運動で、中心にあった尾崎は「憲政の神様」と呼ばれた。
 しかし、80歳を超えた神様の発言が罪に問われた。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「戦時下の1942年(昭和17)年の衆議院選挙。東条英機内閣は、戦争に非協力的な議員で圧倒的多数を占めるため、翼賛政治体制協議会を組織させ、推薦を得た議員に資金面で肩入れし、それ以外の議員を排除しようとした。
 4月12日、尾崎は東京での応援演説で、東条内閣の独裁政治を激しく攻撃。翼賛選挙は重大な憲法違反であり、憲法を制定した明治天皇のご心労や、憲政を実現するために心血を注いだ先人たちの苦労を忘れた行為だ、と訴えた。
 川柳の「売り家と唐様で書く三代目」を引用して、「日本も憲政を始めてから明治、大正、昭和と丁度3代目に当たる。よほど用心しなければならない」と説いた。
 東京地方検事局から刑法の不敬罪容疑があると、召喚状が届く。不敬罪は戦後治安維持法とともに廃止されるまで、天皇制批判や打倒を主張したことを理由に言論の自由封殺の道具にされた。
 尾崎は起訴され、一審は懲役8か月、執行猶予2年を言い渡した。しかし、上告審の大審院は証拠不十分として、原判決を破棄し、無罪とした。
 この言論弾圧を朝日新聞は「舌禍事件」として扱い、尾崎と共闘しなかった。べた記事が大半だった一方、「潜水艦内で盲腸手術」「一億の聖域を総動員 宣戦一周年 必勝の週間始まる」と言った記事が紙面を飾った。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「尾崎は事件の5年前、当時の新聞について「どの新聞も余り独自の意見がないものの如く、甚だしきは当局に迎合する態度をとっている。」
 「言論の自由擁護は新聞の使命であるのに、自ら自由の範囲を狭めるようなやり方を為している。と著書に記した。
 現在の新聞はどうか。特定秘密保護法施行が近づくいま、銅像に向き合うと、その視線は法律を成立させた国会だけでなく、言論界にも注がれているように感じる、」と締めくくった。
 読んで、尾崎行雄という人のことが少しわかった。朝日新聞は、これを「舌禍事件」として取り扱い、尾崎と共闘しなかったこと。べた記事が大半だった一方、戦争を鼓舞するような記事が紙面を飾っていたとの事。そんな社会状況の中で、護憲運動をやった尾崎行雄の強さはどこから来たのだろうか?今は、朝日、毎日、東京等、護憲のマスコミもあるのに、護憲派に疲れが見える。運動を担ってきた人たちが高齢化し、学生運動もいっこう盛り上がらず、労働運動でストライキもできなくなって久しく、この状態は、護憲派にとっては危機的状態だ。護憲派も、積極的護憲なる「新政策」を生み出して、ネットを駆使し、楽しく・面白く・明るい護憲運動を再構築できないものか?
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by sasakitosio | 2014-04-11 19:29 | 朝日新聞を読んで | Trackback